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== 来歴・人物 ==
=== アマチュア時代 ===
*[[大商学園高等学校]]から[[岐阜聖徳学園大学]]に進学。同期の[[星野八千穂]](現[[北海道日本ハムファイターズ|日ハム]])とバッテリーを組み、[[明治神宮野球場|神宮球場]]で行われた選手権大会に出場する大きな原動力となった。大学4年時にはシュアな打撃で話題になるドラフト候補と報道されたものの、プロからの声はかからなかった。
 
*その後[[社会人野球]]の昭和コンクリートへ進んだものの、チームは[[2003年]]の夏をもって活動休止となり、[[住友金属鹿島硬式野球部|住友金属鹿島]]へ転籍。住友金属鹿島では正捕手の座をつかみ、[[都市対抗野球大会]]連続出場に貢献した。
*[[]][[2003]][[鹿|鹿]]鹿[[]]4[[2006]][[77]]1[[|]]4[[]]
 
*その年のオフの[[2006年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2006年の大学・社会人ドラフト]]で[[東京ヤクルトスワローズ]]から4巡目で指名を受けた。[[11月22日]]に推定契約金5000万円プロ入り年俸1000万円で仮契約果た行い入団した。
 
=== プロ入り後 ===
;[[2007年]]
一軍キャンプに招聘されたが、OP戦で当たりが出なかったこと、守備面でも課題を指摘されたことから、開幕は二軍スタートとなった。出場機会を増やすため、[[一塁手]]にも挑戦している。7月に[[川本良平]]が一軍昇格した後はほぼ二軍の正捕手として定着し、最終的に53試合に出場。ファームとはいえ打率.274、5本塁打と一年目からまずまずの成績を残した。
;[[2008年]]
キャンプは二軍スタートだったが、[[川本良平]]の故障にともなって一軍キャンプに合流。開幕は再び二軍で迎えたものの、[[イースタン・リーグ]]では開幕から正捕手を務めた。打撃不振の選手が多い中で、二軍とはいえ3割台をキープ。そのことが評価される形で、[[5月13日]]に一軍初昇格。同日の対[[中日ドラゴンズ|中日]]戦で初出場、初先発を果たした。
 
== エピソード ==
===プロ入り後===
=== 家族・交流 ===
*[[2007年]]は一軍キャンプに招聘されたが、守備面での課題が多く、開幕二軍スタート。一軍登録はならなかったが、主に捕手として二軍の53試合に出場。[[一塁手]]にも挑戦している。
社会人時代に結婚し、息子が一人いる。妻子がある場合免除されるにもかかわらず、2007年に単身で入寮して話題になった。
 
=== プレスタイル ===
*[[]]
*[[本塁打]]を量産するタイプではないものの、打撃は得意なタイプの捕手である。二軍では勝負に絡む場面での安打も見られ、将来に期待がかかる。
 
== 背番号 ==
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== 関連項目 ==
*[[古田敦也]] - 入団時の先輩捕手兼監督。
*[[星野八千穂]] - 大学時代の同期
 
{{東京ヤクルトスワローズ}}