「試し斬り」の版間の差分
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:(詳細は[[天覧兜割り]]の記事を参照) 明治20年︵1887年︶に[[伏見宮貞愛親王|伏見宮]]邸において天覧演武として行われた﹁天覧兜割り﹂が有名である。[[剣術]]家の[[榊原鍵吉]]、[[上田馬之助]]、[[逸見宗助]]が出場した。上田と逸見は失敗したが、榊原は[[同田貫]]を用いて、切口3[[寸]]5[[分 (数)|分]]、深さ5分斬り込んだ。[[警視庁武術世話掛|警視庁]]で上田、逸見から剣術を学んだ[[高野佐三郎]]は、後年、﹁巻藁なんかは子供の悪戯と考えています。重きを置きませぬ。昔の試し切りは鉄の兜を斬るんです。︵中略︶据物斬りというのはなかなか難しいので、兜の中に[[飯|御飯]]の温かいのを詰める。兜に温かみをつけてやる。何も入れないと、刀を折る。[[おから|豆腐のカラ]]を熱くふかして入れてもよい。置物の高さを知る事が大切で、素人が斬れて剣道の先生が斬れないという事が間々ある﹂と述べている<ref>堂本昭彦﹃高野佐三郎 剣道遺稿集﹄、スキージャーナル</ref>。 :1979年: [[殺陣|殺陣師]]の[[林邦史朗]]が[[時代考証]]家の[[名和弓雄]]からの依頼で兜割りを試した。兜の内側に[[粘土]]を詰め込み、跳ねないようにして斬った。兜は約2センチほどへこみ、刃の痕はくっきりと残ったが、刀は蛇行形に曲がった。名和は﹁兜の真っ向は、とても刀で斬れるものではない、と結論を下してよいと思う。︵中略︶昔は、炊き立ての飯米や、熱いおからを詰めて、鉢を温めてから斬ったと伝えられている。もし、鉢を温め、古刀の二尺七、八寸もある大業物を使用した場合、あるいはもっと斬れたかもしれない﹂と述べている<ref>名和弓雄﹃間違いだらけの時代劇﹄、[[河出文庫]] 182頁</ref>。 :1987年: テレビ番組 :1997年: 大阪在住の武道家の[[猿田光廣]]によって千人の観客の前で兜割りが行われている、使用した兜は桃山時代の本歌の兜で伝統にのっとり兜におからを詰めて斬った。使用した刀は市原一龍子長光在銘の二尺二寸六分の刀で兜割りに成功、横25cm深さ9cmを斬り込み刀は刃こぼれ一つなかった、この様子は関西テレビにて放映された。 |