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<!--- [[File:Tehilim 137.png|thumb|right|250px|詩篇137篇(第136聖詠)の[[ヘブライ語]]原文([[ニクダー]]付き)]] --->
[[File:Ruscheweyh Bendemann Babylon.gif|thumb|right|250px|バビロンの川のほとりで([[:de:Ferdinand Ruscheweyh|Ferdinand Ruscheweyh]] 1785–1845 画)]]
'''詩 ==テーマ==
[[File:Eduard Bendemann- Die trauernden Juden im Exil um 1832.jpg|thumb|『バビロンの川のほとりで』 [[エドゥアルド・ベンデマン]]、1832年頃]]
この詩は紀元前607年にエルサレムが[[バビロニア]]により陥落して、[[バビロン捕囚]]に遭った時に、[[ユダヤ人]]たちが[[エルサレム]]を懐かしく思いだす内容である。「バビロンの流れ」とは[[ユーフラテス川]]、[[チグリス川]]、またはそれらの支流である。▼
[[File:Gebhard Fugel An den Wassern Babylons.jpg|thumb|『バビロンの川のほとりで』 Gebhard Fugel, 1920年頃]]
[[File:By the Waters of Babylon Arthur Hacker.jpg|thumb|『バビロンの川のほとりで』 Arthur Hacker, 1888年頃]]
▲この詩は紀元前607年にエルサレムが[[バビロニア]]により陥落して、[[バビロン捕囚]]に遭った時に、[[ユダヤ人]]たちが[[エルサレム]]を懐かしく思いだす内容である。<ref> [http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E8%A9%A9137%E7%AF%87%2FB 瞑想Psalm 137/B] </ref>﹁バビロンの流れ﹂とは[[ユーフラテス川]]、[[チグリス川]]、またはそれらの支流である。バビロンへの神の復讐を予言した7~9節は、後述の讃美歌などでは省かれることが多い。 <div style="text-align:left;margin:0px 30px">
<poem>
1. [[新バビロニア|バビロン]]の流れのほとりに座り
シオンを思って、わたしたちは泣いた。
2. 竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。
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9. お前の幼子を捕らえて岩にたたきつける者は。(新共同訳聖書から)
</poem>
</
==その他==
この詩はユダヤ教、カトリック、その他のキリスト教会で使われている。 文学上は、小説家[[ウィリアム・フォークナー]]が小説『[[野生の棕櫚]]』の原題にもしていて、哲学者の[[森有正]]はこの詩の最初の行を題名にして[[エッセイ]]『バビロンの流れのほとりにて』(1968年)を書いている。<ref> [http://torii-bible.com/ot/psalms/no54/ 詩編講解 - 54.詩編137編『バビロンの流れのほとりにて』] </ref>
実在する[[ヤナギ]]の木では、[[コトカケヤナギ]]の名や、[[シダレヤナギ]]を英語で「WEEPING WILLOW(泣いている柳)」と呼ぶことや学名''Salix babylonica''もこの詩からついた。
==参照項目==
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{{DEFAULTSORT:しへん137
[[Category:バビロニア]]
[[Category:詩篇|137]]
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