辻野久憲
生涯
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京都府舞鶴市生まれ。舞鶴憲兵分隊内の官舎で誕生。1916年、台湾の台中尋常高等小学校尋常科入学。基隆小学校、神戸小学校、伊丹小学校、伊丹中学校を経て、1929年、第三高等学校文科丙類を卒業。1932年、東京帝国大学仏蘭西文学科卒業。同年、書肆第一書房に就職。
﹃詩・現実﹄に参加し、1930年から1931年に伊藤整・永松定とジェイムズ・ジョイスの﹃ユリシーズ﹄を翻訳するかたわら、第一書房﹃セルパン﹄編集長。
1934年、第一書房を退職。1937年、カトリックの洗礼を受ける。洗礼名はヨハネ[1]。
出生後の実家のある兵庫県川辺郡伊丹町︵現・伊丹市︶に滞在していた最中に胸膜炎を発症し、緊急入院となったが、何度か転院した後病状が悪化し、死去した。28歳没。
生前に交流のあった学者や文人から、その早すぎる死を悔やむ文章が多数発表された[2][3]。
翻訳
編集参考文献
編集- 『日本近代文学大事典』
- 『伊藤整年譜』(全集24巻)
関連項目
編集脚注
編集- ^ 三好達治「故辻野久憲君略歴」『四季』1937年11月号所収
- ^ 堀辰雄 辻野久憲君
- ^ 神西清 きれぎれの追憶 - どちらも青空文庫より。
- ^ 堀辰雄 辻野久憲君(青空文庫)2013年8月24日閲覧。