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1934年︵昭和9年︶、﹃[[新青年 (日本)|新青年]]﹄に﹁亜米利加発第一信﹂が新人創作として入選掲載されて、余技作家としてデビューする。﹃ぷろふいる﹄や﹃探偵春秋﹄などに十編余りの短編を発表する。探偵小説愛読者の集まりである﹁神戸探偵倶楽部﹂に当初から参加しており、同倶楽部の同人たちとして[[山本禾太郎]]・戸田巽・西田政治・[[九鬼紫郎]]︵澹︶らがいた。日本が戦争へと突き進むことで、実際の創作活動ができたのは、4年足らずである。 1945年︵昭和20年︶6月の[[神戸大空襲]]により神戸市上筒井で被災、住居、書籍など全てを焼失し、岡山へ避難する。1946年︵昭和21年︶避難先の岡山県[[西大寺 翻訳物も幾つか発表。翻訳長編ものとしてミニオン・G・エバアハートの﹁霧中殺人事件﹂︵TheDarkGarden︶がある他、実用書として、﹁外国電信係読本︵ケーブル・クラーク読本︶を発行したが、戦時に向かう時局柄、実用電報に携わる人が少なくなり、現実の実用書にはなり得なかった。 18行目:
== 作風 ==
酒井嘉七は昭和9年<新青年>4月特大号に新人創作三人集で紹介されて探偵文壇に登場した。当時、酒井嘉七は貿易商社に務めるかたわら探偵小説の翻訳や創作をしていたことしか知られていない。作家として活躍したのは四年足らずで、知られている作品は次の11編にすぎない。︵略︶この11編の作品から、酒井嘉七には三つの作品系列があるのがわかる。その1,飛行機を素材にしたいわゆる”航空物”。その2、歌舞伎の世界から取材したいわゆる”長唄もの”。その3,上記の特殊な世界から取材したものではなく、筆記者の自身の周辺を素材にした形をとっている”身辺物”である。<br> <出典>『幻影城』1977年8月号・発行/幻影城 「連載企画-<新青年>創刊から<幻影城>創刊まで探偵小説55年を考える⑫酒井嘉七作品特集」巻頭
[[鮎川哲也]]は同氏編『密室探求』第二集「解説ー京鹿子娘道成寺(酒井嘉七)」の中で、この巻頭文の筆者は『幻影城』の[[島崎博]]編集長だろうと思う、と書いている。
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