金森穣
経歴
横浜市生まれ。幼少よりダンサーである父・金森勢に学ぶ。生家がダンス・スタジオであるという環境で育ち、牧阿佐美バレヱ団に入団。1992年渡欧。ルードラ・ベジャール・ローザンヌ︵モーリス・ベジャールが主宰するスイス・ローザンヌのダンス学校︶に所属し、ベジャールに師事。
1994年ヨーロッパで指折りのダンスカンパニーであるオランダ・ハーグのネザーランド・ダンス・シアター︵NDT︶でダンサーとして活躍。1997年フランスの国立リヨン・オペラ座バレエ団。1999年スウェーデン・ヨーテボリ・バレエ団に移籍、振付を任されるなど重要な地位にあった。
帰国後、フリーランスのダンサーとして日本国内にて活動。2004年新潟市民芸術文化会館の舞踊部門芸術監督に就任。同年、日本初の劇場専属プロフェッショナル・ダンスカンパニー﹁Noism﹂を発足。現在、新潟県新潟市の新潟市民芸術文化会館を拠点に活動している。
2007年7月21日にダンサー井関佐和子(Noismバレエミストレス)と入籍。
2009年夏、夫婦でunit-Cyanという活動を開始。