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'''銀貨'''(ぎんか)とは、[[銀]]を素材として作られた[[貨幣]]をいう。古来、[[金貨]]・[[銅貨]]とともに世界各地で流通した。
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現在でも、[[フランス語]]では[[お金|金銭]]を指して﹁銀﹂︵'''アルジャン'''、'''argent'''︶と言い、[[南アメリカ|南米]][[スペイン語]]圏の[[口語]]でもカネというニュアンスで﹁銀﹂︵'''プラタ'''、'''plata'''︶という。日本語でも[[銀行]]、路銀などの語で﹁銀﹂に金銭の意味を持たせている。 現代社会において、銀貨は最早流通用 銀貨の品位︵純度︶は、古より様々であり、日本では明治時代の50銭から5銭の[[補助貨幣|補助通貨]]が80%、一円と[[貿易銀]]の[[本位銀貨]]が90%、明治末期から大正にかけての旭日10銭銀貨と大正から昭和初期にかけての小型鳳凰50銭銀貨が72%であった。また戦後発行された[[百円硬貨|100円銀貨]]︵鳳凰と稲穂のデザインがあり、稲穂のデザインのものは一般流通用として日本最後の銀貨︶は60%であった。外国には、[[オランダ]]の1グルデン銀貨︵1917年まで、品位94.5%︶などの高品位銀貨が存在したが、一般的に本位銀貨は90%(SV900)を使用するケースが多く、コインシルバーと呼ぶ。また、英国の銀貨は伝統的に92.5%(SV925)の品位で作られており、これを[[スターリングシルバー]]と呼ぶ。 なお、[[イエス・キリスト]]の[[使徒]]のひとり[[イスカリオテのユダ|ユダ]]が、銀貨30枚でイエスを異教徒に売り渡した事から、[[キリスト教]]文化圏において裏切りを表す成句として﹁銀貨30枚を受け取る﹂という表現が用いられる事がある。 15行目:
== 歴史 ==
[[ファイル:Rudolf II Thaler.jpg|thumb|ドルの語源となった[[ターラー (通貨)|ターラー銀貨]]]]
白く輝く銀は天然 実際のところ、金は貨幣として流通させるには稀少に過ぎたため、銀が実質的な貨幣として重きをなし、広範な文明圏で流通した。[[通貨単位]]である﹁[[ドル]]﹂﹁[[ポンド (通貨)|ポンド]]﹂﹁[[リーブル]]﹂など、もとはいずれも銀貨について用いられた呼称である。さらに金と銀の交換比率︵[[金銀比価]]︶を政府が定めることで[[金銀複本位制]]が成立し、銀貨は金貨と並ぶ本位貨幣としての地位を築いた。 一方で近世にいたり[[銀山]]の新規採掘が相次ぎ、金銀比価が低下の一途を辿るようになると、国内に大量の銀を保有する[[フランス]]や[[中国]]の抵抗、さらに[[アメリカ合衆国]]では[[通貨供給量]]の増大を望む中西部農民、西部の銀坑夫、南部出身者らが金銀複本位制度の維持を主張した︵ [[画像:American Silver Eagle, obverse, 2004.png|thumb|right|150px|2004年にアメリカで発行された地金型銀貨。1[[トロイオンス]]。]]
20世紀に入り工業用銀需要の高まりなどで銀の価格が上昇すると、世界的に銀貨は[[ニッケル]]、[[白銅]]などへの素材変更を余儀なくされていき、更に[[紙幣]]の流通もあって、20世紀の末ごろを最後に一般流通用として銀を貨幣に用いる国家は消滅し、 == 日本・中国の前近代の銀
[[ファイル:Wadogin.jpg|thumb|150px|和同開珎銀銭([[飛鳥時代]])]]
[[ファイル:
円形方孔の銀製[[銭貨]]を銀銭というが、日本では、[[飛鳥時代]]に[[無文銀銭]]と呼ばれる貨幣の形態をした銀[[地金]]が貨幣の代わりに流通したと言われており、日本最古の[[通貨]]と言われている﹁[[和同開珎]]﹂も[[銅銭]]よりも先に[[銀銭]]が発行されている。これ以降250年の間に、律令国家は、[[皇朝十二銭|12種類の銅銭]]と2種の銀銭︵[[和同開珎]]銀銭・[[大平元宝]]︶と1種の金銭︵[[開基勝宝 ﹃[[日本書紀]]﹄には[[683年]]︵[[天武天皇|天武]]12年︶の[[詔]]として﹁今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ﹂と記録されており、ここでいう銅銭とは[[富本銭]]を指しているという説がある。また[[711年]]︵[[和銅]]4年︶には和同開珎のうち銀銭が廃止され、銅銭のみが通用力を持つとされた。しかしこの禁令は余り効力を持たなかったようで、[[721年]]︵[[養老]]5年︶には銀銭1枚が銅銭25枚、銀1[[両]]が銅銭100枚に相当するとの詔が発布されている。 銀銭の禁止理由としては、銅銭に比べて1枚当たりの[[通貨発行益|発行利益]]が大きいために[[私鋳銭]]が横行したことや、政府が大陸との取引のために用いられる銀を回収したかったこと、当時は[[対馬]]以外 従来から無文銀銭など、[[秤量貨幣]]として用いられていた銀と異なり、銅銭はその価値基準を定める経験に乏しく、価額設定は政府の恣意によるものとなった。[[711年]]︵[[和銅]]4年︶には銅銭1文で穀6[[升]]とされたが、[[729年]]︵[[天平]]1年︶米1[[石 (単位)|石]]が銀1両、銭100文となっており、銅銭の価値は1/3に下落している<ref>{{Cite book|和書|author= [[江戸時代]]に[[丁銀]]、[[豆板銀]]といった[[秤量銀貨]]が、主に[[西日本]]から[[北陸]]、[[東北]]で流通した。これは[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から江戸時代初期に掛けて[[灰吹銀]]に極印を打った[[領国貨幣]]が商取引に盛んに使用されたことの名残である。だが、[[南鐐二朱銀]]の発行以後、[[定位貨幣]]である額面表記銀貨への移行が進み、江戸時代後期には、[[五匁銀]]、[[ 中国では[[明]]の[[
== 脚注 ==
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* [[硬貨]]([[金貨]]・[[銅貨]])
* [[ターラー (通貨)|ターラー]]
* [[テトラドラクマ]]
* [[通貨]]
* [[日本の銀貨]]
57 ⟶ 59行目:
* [[補助銀貨]]
* [[本位銀貨]]
* [[貿易銀]]
* 『[[星の銀貨]]』
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:きんか}}
[[Category:銀貨|*]]
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