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[[画像:American Silver Eagle, obverse, 2004.jpg|thumb|right|2004年にアメリカで発行された銀貨]]
'''銀貨'''(ぎんか)とは、[[銀]]を素材として作られた[[貨幣]]をいう。古来より、[[金貨]]・[[銅貨]]とともに世界各地で流通した。
== 概要 ==
[[銀本位制]]下では銀貨は[[本位貨幣]]として、自由鋳造、自由融解が認められた無制限法貨であった。その代表的な物に、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[:en:Morgan Dollar|1ドル銀貨]]、[[香港]]の1ドル銀貨、[[フランス]]の5フラン銀貨、[[メキシコ]]の8レアル銀貨などがある。日本でも、[[明治]]時代には諸外国との貿易決済用に[[一円銀貨]]が発行されていた。 現在でも[[フランス語]]では、[[お金]]を指して﹁銀﹂︵'''アルジャン'''、'''argent'''︶と言い、[[南アメリカ|南米]][[スペイン語]]圏の[[口語]]でもカネというニュアンスで﹁銀﹂︵'''プラタ'''、'''plata'''︶と言う。日本語でも[[銀行]]、路銀などの言葉で、﹁銀﹂にお金の意味を持たせている。 日本では、[[飛鳥時代]]に[[無文銀銭]]と呼ばれる貨幣の形態をした銀[[地金]]が貨幣の代わりに流通したと言われており、日本最古の[[通貨]]と言われている「[[和同開珎]]」も[[銅銭]]よりも先に[[銀銭]]が発行されている。<!-- [[富本銭]]は日本最古の「貨幣」であっても、日本最古の「通貨」ではない可能性もあるのでコメントアウト -->これ以降250年の間に、律令国家は、12種類の銅銭と2種の銀銭と1種の[[開基勝宝|金銭]]を発行した。また、史実に記載はない[[賈行|銀銭片]]も先の金銭と共に見つかっている。[[江戸時代]]に[[丁銀]]、[[豆板銀]]といった[[秤量銀貨]]が、主に[[西日本]]から[[北陸]]、[[東北]]で流通した。これは[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から江戸時代初期に掛けて[[灰吹銀]]に極印を打った[[領国貨幣]]が商取引に盛んに使用されたことの名残である。だが、[[南鐐二朱銀]]の発行以後、額面表記銀貨への移行が進み、江戸時代後期には、[[五匁銀]]、[[二朱銀]]、[[一分銀]]など、額面表記銀貨も発行された。▼
現代社会において、銀貨は最早流通用の物ではなく、ほとんどが[[収集家]]向けに特殊な仕上げ︵[[プルーフ貨幣|プルーフ加工]]︶をしたり、ケースに入れたりして販売されている。また、一部に地金型の銀貨も存在する。日本では、[[臨時通貨法]]施行後も[[1966年]]に至るまで銀貨が発行されていた。[[平成]]期からは、1,000円・5,000円の記念銀貨が収集家向けに発行され、[[2005年]]には初めての記念500円銀貨も発行された。 13 ⟶ 12行目:
なお、[[イエス・キリスト]]の[[使徒]]のひとり[[イスカリオテのユダ|ユダ]]が、銀貨30枚でイエスを異教徒に売り渡した事から、[[キリスト教]]文化圏において裏切りを表す成句として﹁銀貨30枚を受け取る﹂という表現が用いられる事がある。 == 銀銭 ==
[[ファイル:Wadogin.jpg|thumb|200px|和同開珎銀銭]]
[[ファイル:Bunzi-gin5monme.jpg|thumb|200px|五匁銀]]
円形方孔の銀製[[銭貨]]を銀銭というが、日本では、[[飛鳥時代]]に[[無文銀銭]]と呼ばれる貨幣の形態をした銀[[地金]]が貨幣の代わりに流通したと言われており、日本最古の[[通貨]]と言われている「[[和同開珎]]」も[[銅銭]]よりも先に[[銀銭]]が発行されている。これ以降250年の間に、律令国家は、12種類の銅銭と2種の銀銭と1種の[[開基勝宝|金銭]]を発行した。また、史実に記載はない[[賈行|銀銭片]]も先の金銭と共に見つかっている。
[[日本書紀]]には[[683年]]([[天武]]12年)の[[詔]]として「今より以後、必ず銅銭を用いよ。銀銭を用いることなかれ」と記録されており、ここでいう銅銭とは[[富本銭]]を指しているという説がある。また[[711年]]([[和銅]]4年)には和同開珎のうち銀銭が廃止され、銅銭のみが通用力を持つとされた。しかしこの禁令は余り効力を持たなかったようで、[[721年]]([[養老]]5年)には銀銭1枚が銅銭25枚、銀1[[両]]が銅銭100枚に相当するとの詔が発布されている。
銀銭の禁止理由としては、銅銭に比べて1枚当たりの利益が大きいために[[私鋳銭]]が横行したことや、政府が大陸との取引のために用いられる銀を回収したかったこと、当時は[[対馬]]以外の銀産出地がなかったため、そもそも銀の絶対量が少なく少額決済には不向きであったことなどが挙げられる。 従来から無文銀銭など、[[秤量貨幣]]として用いられていた銀と異なり、銅銭はその価値基準を定める経験に乏しく、価額設定は政府の恣意によるものとなった。[[711年]]([[和銅]]4年)には銅銭1文で穀6[[升]]とされたが、[[729年]]([[天平]]1年)米1[[石]]が銀1両、銭100文となっており、銅銭の価値は1/3に下落している<ref>日本の貨幣の歴史 1996年 滝沢武雄 吉川弘文館 ISBN-10 4642066527</ref>。[[760年]]([[天平宝字]]4年)には[[太平元宝]]という銀銭が発行されたといわれるが、これは流通目的ではなく、銅銭の価値を上げるためのものといわれ、さらに遺物も現存しない。
▲ 中国では[[明]]の[[光武帝]]治世下で金銀貨幣の使用が禁止され、[[1375年]]には通貨は[[大明宝鈔]]という[[紙幣]]に切り替えられ、額面1貫文が銀1両=米1石に相当するとされたが、[[永楽帝]]の頃には戦費捻出のために濫発され大きく価値を下落させた。明代中期以降は秤量貨幣としての銀([[馬蹄銀]])が主要な通貨となっていく。
== 関連項目 ==
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*[[ターラー (通貨)|ターラー]]
== 脚注 ==
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<references />
{{Commons|Category:Silver coins|銀貨}}
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