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== 経歴 ==
 
*[[東京大学]]薬学科専科を卒業
16歳(1901年)より俳句をはじめ、1905年新聞「[[日本 (新聞)|日本]]」「[[万朝報]]」に投句し、「日本」の選者[[河東碧梧桐]]の知遇を得る。1906年ホトトギス例会に出席するようになる。1912年、[[高浜虚子]]に請われてホトトギス編集部に入る。1913年「[[ホトトギス (雑誌)|ホトトギス]]」の「地方俳句界」の選者となる。1914年「[[東京日日新聞]]」(現「[[毎日新聞]]」)の選者。1921年「枯野」創刊し主宰する。1926年講演概要筆記「立体俳句論」を「枯野」に掲載。[[幾何学]]的な俳風で、知識人層の支持を得た。1928年、山陰地方への旅行から帰った後に発熱し、7月27日に[[東京府]][[東京市]][[淀橋区]]柏木(現・[[東京都]][[新宿区]])の自宅において42歳で死去<ref name="nenkan"/>。墓所は杉並区[[福相寺 (杉並区)|福相寺]]。
*[[高浜虚子]]に師事
 
*「[[ホトトギス (雑誌)|ホトトギス]]」の編集に従事
妻は俳人の[[長谷川かな女]]。[[小説家]]の[[三田完]]は孫。
*1916年、「枯野」を創刊。立体俳句を提唱する
*東大卒のキャリアを感じさせる幾何学的な俳風で、知識人層の支持を得た
*1928年、41歳の若さでこの世を去った
 
== 主な著書 ==
*句集「雑草」 枯野社 1924
*句集蕪村俳零余子第二(編著) 水明発行所 1932
*「近代俳句史論とその作り方 春水社 1919
*「新らしき俳句の作り方」 春陽堂 1926
*「近代俳句史論」日本評論社 1921
*「袖珍俳句歳時記」(四分冊) 春水社 1918-1922 (編著)
*「新註俳人の手紙」 春水社 1918 (編著)
*「大正最新一万句選」 春水社 1919 (編著)
*「校注解釈蕪村俳句全集」 日本評論社 1922 (編著)
*「自然へ避難して」 枯野社 1923 (編著)
*「季題別年代別芭蕉俳句全集」 新詩壇社 1925 (編著)
*「枯野俳句選集」 枯野社 1926 (編著)
 
== 経歴脚注 ==
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<references/>
== 関連項目 ==
*[[中村草田男]]
*[[林桂]]
*[[有馬朗人]]
*[[高橋ヨシ江]]
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== 参考文献 ==
[[Category:1886年生|はせかわれいよし]]
* 平石典子 「[https://kotobank.jp/word/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E9%9B%B6%E4%BD%99%E5%AD%90-14750 長谷零余子]」 朝日日本歴史人物事典、kotobank
[[Category:1928年没|はせかわれいよし]]
* 中里麦外「長谷川零余子ー人と作品」 永田書房 1989
[[category:俳人|はせかわ れいよし]]
* 「群馬文学全集 第三巻 村上鬼城 長谷川零余子」 群馬県立土屋文明記念文学館 1999 (林桂編著)
[[Category:群馬県出身の人物|はせかわれいよし]]
 
{{Normdaten}}
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[[Category{{DEFAULTSORT:1886年生|はせかわ れいよし]]}}
[[Category:20世紀日本の俳人]]
[[Category:東京大学出身の人物]]
[[Category:群馬県出身の人物|はせかわれいよし]]
[[Category:1886年生]]
[[Category:1928年没|はせかわれいよし]]