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=== 併合 ===
[[ファイル:Gazette of Government-General of Korea, 1910-08-29.png|thumb|併合当日に発行された﹃[[朝鮮総督府官報]]﹄第1号の第1面。[[明治天皇]]が併合に際して発した[[詔書]]が掲載された。曰く﹁朕ハ韓国皇帝陛下ト与︵とも︶ニ︹中略︺茲︵ここ︶ニ永久ニ韓国ヲ帝国ニ併合スルコトトナセリ﹂。]] [[1910年]]︵明治43年︶6月3日には﹁併合後の韓国に対する施政方針﹂が閣議決定され、7月8日には第3代統監寺内正毅が設置した併合準備委員会の処理方案が閣議決定された。8月6日に至り韓国首相である李完用に併合受諾が求められた。親日派で固められた韓国閣僚でも李容植学相は併合に反対するが、大勢は併合調印賛成に傾いており、8月22日の御前会議では李完用首相が条約締結の全権委員に任命された。統監府による新聞報道規制、集会・演説禁止、注意人物の事前検束が行われた上、一個連隊相当の兵力が警備するという厳戒態勢の中、[[1910年]]︵明治43年︶8月22日に韓国併合条約は[[漢城]]︵現‥[[ソウル特別市]]︶で寺内正毅統監と李完用首相により調印され、29日に裁可公布により発効し、大日本帝国は大韓帝国を併合した。 |