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[[園城寺]]︵三井寺︶の[[心誉]]に師事し、[[円行]]から法を受け、実相院に住した。修法の効験で知られ、[[1074年]]︵[[承保]]元年︶[[白河天皇]]の皇子誕生を祈願し、[[敦文親王]]が誕生したことから、[[園城寺]]の[[戒壇]]創設を天皇に請うたが、[[延暦寺]]の反対により実現しなかった。その後怨念を抱いて断食して命を絶ち、怨霊となって[[鉄鼠]]に化して延暦寺の経典を食い破り、敦文親王は四歳で頼豪の祟りによって死んだとされる。 ネズミに化けた話は『平家物語』『太平記』に載せられた伝説である。徳川時代には[[曲亭馬琴]]が読本『頼豪阿闍梨恠鼠伝』を著した。
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