=== エピソード ===
=== ジャパンプロレス ===
* 1984年の[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]代表という実績の下、鳴り物入りで1985年に大学の先輩でもある[[長州力]]の[[ジャパンプロレス]]に入門<ref name="gong913">[[週刊ゴング]] 2006年9月13日号 特集「馳・健ストーリー完結」</ref>。
* [[1986年]]、[[新倉史祐]]と[[プエルトリコ]]に遠征して[[2月28日]]プエルトリコ・カグアス・シティーアリーナにて対[[ミゲル・ペレス・ジュニア]]戦でデビュー<ref name="gong913"/>。リングネームは﹁イロ・アセ﹂。スペイン語でHは発音しないため﹁hIRO hASE﹂となる。<ref>https://www.youtube.com/watch?v=S4VmkAoG1NM</ref>
* 若手時代、[[ミスター・ヒト]]のブッキングで[[カナダ]]・[[カルガリー]]地区([[スチュ・ハート]]主宰の[[スタンピード・レスリング]])に武者修行のため遠征していたことがあり、新倉史祐と組み「ベトコン・エクスプレス」として活動していた(当時のリングネームは「'''ベトコン・エクスプレス2号'''」)。当時のライバルは[[オーエン・ハート]]<ref name="gong913"/>。 ▼
▲* 若手時代、[[ミスター・ヒト]]のブッキングで[[カナダ]]・[[カルガリー]]地区([[スチュ・ハート]]主宰の[[スタンピード・レスリング]])に武者修行のため遠征していたことがあり、新倉史祐と組み「ベトコン・エクスプレス」として活動していた(当時のリングネームは「'''ベトコン・エクスプレス2号'''」)。当時のライバルは[[オーエン・ハート]]<ref name="gong913"/>。
==== 新日本プロレス ====
* 1987年のジャパンプロレスの面々が新日本マットに登場した際に日本デビュー。日本デビュー戦は[[小林邦昭]]の[[IWGPジュニアヘビー級王座]]に挑戦し、勝利する<ref name="gong913"/>。
* バラエティー色を強くした『ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング』にスタジオゲストで出演した際、司会の[[山田邦子]]が流血したレスラーの様子を見て「血なんかすぐ止まるもんなんですか?選手って言うのは?」と聞いたとき、馳が「おい、つまんない話聞くなよ。止まるわけないだろ」と反論した<ref>{{Cite web|url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1393347771924/|title=馳浩のことは嫌いになっても、プロレスのことは嫌いにならなかった山田邦子|publisher=exciteニュース|date=2014-02-26|accessdate=2015-10-07}}</ref>。
**バラエティー色を強くした﹃ギブUPまで待てない!!ワールドプロレスリング﹄にスタジオゲストで出演した際、司会の[[山田邦子]]が流血したレスラーの様子を見て﹁血なんかすぐ止まるもんなんですか?選手って言うのは?﹂と聞いたとき、馳が﹁おい、つまんない話聞くなよ。止まるわけないだろ﹂と反論した<ref>{{Cite web|url=https://www.excite.co.jp/news/article/E1393347771924/|title=馳浩のことは嫌いになっても、プロレスのことは嫌いにならなかった山田邦子|publisher=exciteニュース|date=2014-02-26|accessdate=2015-10-07}}</ref>。この出来事は発言内容も含めて、﹁非礼な質問に対して馳がプロとして叱責した﹂もしくは﹁激怒するなど、大人げない対応をした﹂などと誤った解釈で広まったが、実際は一蹴したまでに過ぎず、直後の山田からの別の質問に対しては速やかに対応していた。しかしこのやり取りを見た番組サイドは、当時タレントとして圧倒的人気を博していた山田が﹁言葉の暴力﹂に遭うと言う場面として重く捉え、結果的に番組終了︵﹃ワールドプロレスリング﹄としては継続︶を決断する事に至ったと言う<ref>{{Cite web|url= https://number.bunshun.jp/articles/-/846608?page=1|title=﹁つまらないこと聞くな!﹂馳浩が山田邦子を怒鳴りつけた“事件の真相”と34年後のグータッチ|publisher=Number Web|date=2021-01-09|accessdate=2021-08-22}}</ref>。山田は2020年に自身のYouTubeチャンネルでこの件を取り上げ、﹁新日本プロレスが嫌いになった﹂と噂されたり、今もなお詳細を尋ねられる事があるが、自身は全く気にしておらず、馳の妻である高見恭子や弟と交流を持ったり、馳を食事に誘った事もあったと述べ、むしろ前述の通り番組が終了した事によって多数のスタッフが仕事を失った事を指摘し、﹁馳先生も悪い事をしたと思っているなら謝ってくれればいいのに﹂、﹁︵報道陣の前で︶花束で一回殴らせてくださいよ!﹂と笑いを交えながら語っている<ref>[https://m.youtube.com/watch?v=HMFTmKt6cSw 新日本プロレスは和解したのか!?馳浩さんとの確執について語ります]</ref>。この動画をアップした1年後の2021年1月4日のプロレスリング・ノア後楽園ホール大会に馳が参戦。試合後、解説席にいた山田とグータッチを交わしたが、ここでもメディアは﹁34年ぶり歴史的和解﹂と報じている<ref>[https://m.youtube.com/watch?v=2_l1_mJL-Aw 34年ぶり 山田邦子と馳浩が“歴史的和解”!1.4 NOAHダイジェスト]</ref>。
** 山田は2020年に自身のYouTubeチャンネルでこの件を取り上げ、「新日本プロレスが嫌いになった」と噂されたり、今もなお詳細を尋ねられる事があるが、自身は全く気にしておらず、馳の妻である高見恭子や弟と交流を持ったり、馳を食事に誘った事もあったと述べ、むしろ前述の通り番組が終了した事によって多数のスタッフが仕事を失った事を指摘し、「馳先生も悪い事をしたと思っているなら謝ってくれればいいのに」、「(報道陣の前で)花束で一回殴らせてくださいよ!」と笑いを交えながら語っている<ref>[https://m.youtube.com/watch?v=HMFTmKt6cSw 新日本プロレスは和解したのか!?馳浩さんとの確執について語ります]</ref>。この動画をアップした1年後の2021年1月4日のプロレスリング・ノア後楽園ホール大会に馳が参戦。試合後、解説席にいた山田とグータッチを交わしたが、ここでもメディアは「34年ぶり歴史的和解」と報じている<ref>[https://m.youtube.com/watch?v=2_l1_mJL-Aw 34年ぶり 山田邦子と馳浩が“歴史的和解”!1.4 NOAHダイジェスト]</ref>。
* 1990年6月、[[後藤達俊]]とのシングルマッチで[[バックドロップ]]を受け、試合後に一時心肺停止状態となる<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/and_M/20200228/9803069/|title=尋常ならざる回復力はどこから? リングドクターが教えるプロレスラーの肉体の秘密/︻プロレス偏愛︼#04|accessdate=2020-07-05|date=2020-02-20|newspaper=&M|publisher=朝日新聞社}}</ref>。
==== 全日本プロレス ====
* 国会議員兼全日本プロレス所属のプロレスラーであり、プロレス興行には主に国会のない期間に参加していたが、政治で[[大臣政務官]]や[[副大臣]]など、徐々に要職につき始めるとその機会が減っていき、2005年9月11日の衆議院選挙の当選︵3選︶と同時にプロレスラーとしての現役[[引退]]を表明︵理由として[[靭帯|靱帯]]断裂もある︶した<ref name="gong913"/>。
* 引退興行については[[武藤敬司]]が﹁全日で馳さんの引退興行を行いたい、新日では行わせたくない﹂と周辺に漏らしていた。また、2006年1月の武藤社長就任3周年記念パーティに馳が参加し、自ら﹁引退興行は本年中に全日本で行って欲しい﹂と嘆願、同年7月23日の地元金沢の興行を馳浩引退記念興行とし、8月27日の両国国技館大会で引退試合を行った。なお、7月23日の金沢大会はもともと挨拶だけの予定だったが、本来出場予定の[[佐々木健介]]が左眼窩底骨折で出場できなくなり、急遽代役として出場することとなった<ref name="gong913"/>。
* 2006年8月27日、馳のプロレス引退試合を元首相の[[森喜朗]]が観戦したが、対戦相手の[[VOODOO-MURDERS]]の[["brother"YASSHI]]が「おい、そこの森! お腹の中、何か詰まってるな? お金か? このカス野郎!」と森に罵声を浴びせた上、森の失政を批判し唾を掛けた。さらに、場外乱闘に乗じて[[TARU]]が森を挑発したため、森もパイプ椅子を持って身構えるという事態が発生した。このとき観客から森コールが起こったものの、森の[[セキュリティポリス|SP]]がTARUに抗議しつつ森を止めたため、憲政史上初となる[[総理大臣]]経験者のプロレス参戦は実現しなかった。試合後、記者団に対して森は「椅子? パフォーマンスだよ」と苦笑いで語ったが、YASSHIに話が及ぶと「客に対して失礼だ」と激怒した。その後、馳は電話にもかかわらず森に土下座して謝罪したという。ただ、森は元々プロレス好きである。なお、この大会では初代[[文部科学大臣]]だった同じ派閥の[[町村信孝]]大臣も来場し、森の横で観戦していたが、この試合中の顛末をにこやかに見ていた<ref name="gong913"/>。 ▼
* [[引退]][[セレモニー]]の花束贈呈順が森元[[内閣総理大臣]]、町村文部科学大臣、オーラスが[[ミスター・ヒト]]だった。馳は「元総理、文部科学大臣を前座にして何でミスターヒトが大トリなんだ!? 俺にも立場がある」と冗談めかして述べた<ref name="gong913"/>。
▲* 2006年8月27日、馳のプロレス引退試合を元首相の[[森喜朗]]が観戦したが、対戦相手の[[VOODOO-MURDERS]]の[["brother"YASSHI]]が﹁おい、そこの森! お腹の中、何か詰まってるな? お金か? このカス野郎!﹂と森に罵声を浴びせた上、森の失政を批判し唾を掛けた。さらに、場外乱闘に乗じて[[TARU]]が森を挑発したため、森もパイプ椅子を持って身構えるという事態が発生した。このとき観客から森コールが起こったものの、森の[[セキュリティポリス|SP]]がTARUに抗議しつつ森を止めたため、憲政史上初となる[[総理大臣]]経験者のプロレス参戦は実現しなかった。試合後、記者団に対して森は﹁椅子? パフォーマンスだよ﹂と苦笑いで語ったが、YASSHIに話が及ぶと﹁客に対して失礼だ﹂と激怒した。その後、馳は電話にもかかわらず森に土下座して謝罪したという。ただ、森は元々プロレス好きである。なお、この大会では初代[[文部科学大臣]]だった同じ派閥の[[町村信孝]]大臣も来場し、森の横で観戦していたが、この試合中の顛末をにこやかに見ていた<ref name="gong913"/>。[[引退]][[セレモニー]]の花束贈呈順が森元[[内閣総理大臣]]、町村文部科学大臣、オーラスが[[ミスター・ヒト]]だった。馳は﹁元総理、文部科学大臣を前座にして何でミスターヒトが大トリなんだ!?俺にも立場がある﹂と冗談めかして述べた<ref name="gong913"/>。
==== 現役引退後 ====
* 2017年7月26日に後楽園ホールで行われたプロレスリング・マスターズのメインの6人タッグに出場し11年ぶりにリング復帰を果たす。藤波辰爾、長州力とタッグを組み、グレート・ムタ、[[ザ・グレート・カブキ]]、[[サビオ・ベガ|TNT]]と対戦し勝利を収めた<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkansports.com/battle/news/1862817.html|title=馳浩は全開﹁リング上で政治家のにおいがしたら嫌﹂|work=nikkansports.com|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2017-07-27|accessdate=2017-07-28}}</ref>。
* プロレスからの引退発表こそしたが、総理大臣としてSPを連れてリングに上がるのが夢だと話している<ref name="gong913"/>。
* 2021年1月4日に後楽園ホールで行われた[[プロレスリング・ノア]]「New Sunrise 2021」のメインの6人タッグに出場し1年4か月ぶりにリング復帰を果たす。[[潮崎豪]]、[[清宮海斗]]とタッグを組み、武藤敬司、[[丸藤正道]]、[[田中将斗]]と対戦し勝利を収めた<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20210104-OHT1T50204.html|title=馳浩衆院議員、1年4か月ぶりのプロレス参戦…6人タッグで武藤敬司と対戦…ノア1・4後楽園|work=nikkansports.com|newspaper=[[スポーツ報知]]|date=2021-01-04|accessdate=2021-01-05}}</ref>。 ▼
* 2023年1月1日に日本武道館で行われたプロレスリング・ノアの試合に当日発表のXとしてサプライズ参戦。石川県知事就任後、そして自身の還暦初となる。藤田和之、ケンドーカシン、NOSAWA論外とタッグを組み、最後はノーザンライトスープレックスで勝利を挙げた<ref>{{Cite web |title=︻ノア︼馳浩石川県知事2年ぶりのリングに会場どよめき ジャイアントスイングも披露︵日刊スポーツ︶ |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/8c1ece5acfb77e345851ba66aebcfb57f2a5123d |website=Yahoo!ニュース |access-date=2023-01-01 |language=ja}}</ref>。現職知事がレスラーとしてリングに上がったのは初めて。年末年始の知事職務休暇中の石川を離れての東京でリングに上がったが、現職知事が怪我をする懸念や雪などの災害対応における危機管理として知事としての公務に心配する声が出た。馳は﹁石川を離れる際は両副知事に対応をお願いし、危機管理監からも定期的に報告を受けていた﹂と危機管理上の問題はなかったとの認識を示し、﹁今は健康と日時の許す範囲でリングに上がっている﹂とし、また﹁私は死ぬまでプロレスラーだ﹂として生涯現役プロレスラーともとれる発言をした。▼
▲* 2021年1月4日に後楽園ホールで行われた[[プロレスリング・ノア]]﹁New Sunrise 2021﹂のメインの6人タッグに出場し1年4か月ぶりにリング復帰を果たす。[[潮崎豪]]、[[清宮海斗]]とタッグを組み、武藤敬司、[[丸藤正道]]、[[田中将斗]]と対戦し勝利を収めた<ref>{{Cite news|url=https://hochi.news/articles/20210104-OHT1T50204.html|title=馳浩衆院議員、1年4か月ぶりのプロレス参戦…6人タッグで武藤敬司と対戦…ノア1・4後楽園|work=nikkansports.com|newspaper=[[スポーツ報知]]|date=2021-01-04|accessdate=2021-01-05}}</ref>。
▲* 2023年1月1日に日本武道館で行われたプロレスリング・ノアの試合に当日発表のXとしてサプライズ参戦。石川県知事就任後、そして自身の還暦初となる。藤田和之、ケンドーカシン、NOSAWA論外とタッグを組み、最後はノーザンライトスープレックスで勝利を挙げた<ref>{{Cite web |title=︻ノア︼馳浩石川県知事2年ぶりのリングに会場どよめき ジャイアントスイングも披露︵日刊スポーツ︶ |url=https://news.yahoo.co.jp/articles/8c1ece5acfb77e345851ba66aebcfb57f2a5123d |website=Yahoo!ニュース |access-date=2023-01-01 |language=ja}}</ref>。現職知事がレスラーとしてリングに上がったのは初めて。年末年始の知事職務休暇中の石川を離れての東京でリングに上がったが、現職知事が怪我をする懸念や雪などの災害対応における危機管理として知事としての公務に心配する声が出た。馳は﹁石川を離れる際は両副知事に対応をお願いし、危機管理監からも定期的に報告を受けていた﹂と危機管理上の問題はなかったとの認識を示し、﹁今は健康と日時の許す範囲でリングに上がっている﹂とし、また﹁私は死ぬまでプロレスラーだ﹂として生涯現役プロレスラーともとれる発言をした。
== タイトル歴 ==
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