高垣松雄
人物・経歴 編集
神奈川県横須賀市生まれ。早稲田大学文科を中退した後、1919年︵大正8年︶立教大学英文科卒業。大学卒業後すぐに、旧制立教中学校の英語教師となるが、同年夏にハワイのザ・フレンド・ピース奨学生の銓衡試験をパスして、ホノルルにある、孫文や第44代アメリカ大統領のバラク・オバマも学んだプナホ・アカデミーに留学[4]。翌1920年︵大正9年︶にはシカゴ大学に入学[1][3]。
病のため1921年︵大正10年︶に帰国し、1922年︵大正11年︶立教大学文学部教授に就任。杉田未来の筆名をもってアメリカ文学を論じ、﹁英語青年﹂﹁英語研究﹂などに寄稿する[1]。
1927年︵昭和2年︶に﹁アメリカ文学﹂を出版し、日本におけるイギリス文学から独立したアメリカ文学論として注目される[1]。大学ではアメリカ文学とイギリス文学を講じた[5]。ヴァン・ワイク・ブルックス、S.アンダーソン、W.フランクらの同時代の文学を見事なまでに消化して日本に紹介した[3]。
1936年︵昭和11年︶に立教大学文学部英文学科長となった[2]。数種の翻訳のほかに雑誌﹁新英米文学﹂を刊行し、﹁英語英文学講座﹂も出版した[1]。
1939年︵昭和14年︶に開設にされた日本最初のアメリカ研究所となる﹁立教大学アメリカ研究所﹂の創設に尽力するとともに、日本各地のアメリカ文学研究の新進の育成にも心を配るなど、日本におけるアメリカ文学研究の基礎を築いた[3]。
第一次大戦後のアメリカ文学の紹介を行い、日本で初めてアメリカ文学を専門に研究した人とされる。
門下生 編集
著書 編集
翻訳 編集
- ジェニー・ゲルハート / ドライサー 世界文学全集 新潮社 1931 のち文庫
- スケッチ・ブック / アーヴイング 岩波文庫 1935
参考文献 編集
- 『英米文学辞典』