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{{複数の問題
{{出典の明記|date=2012年1月1日 (日) 17:42 (UTC)|ソートキー=人1928年没}}
|出典の明記=2012年1月1日 (日) 17:42 (UTC)
[[Image:Motoyuki Takabatake.JPG|thumb|200px|高畠素之]]
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'''高畠 素之'''(たかばたけ もとゆき、[[1886年]][[1月4日]] - [[1928年]][[12月23日]])は[[日本]]の社会思想家、哲学者。[[国家社会主義]]を唱えた。
|独自研究=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)
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{{Infobox 学者
== 人物==
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|画像= TAKABATAKE_Motoyuki.jpg <!--Motoyuki Takabatake.JPG-->
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|全名= 高畠素之
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|誕生名=
|生年月日= 1886年1月4日<!-- {{生年月日と年齢|YYYY|MM|DD}} -->
|生誕地= [[群馬県]][[前橋市]]
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|死没地= <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 -->
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|主な業績= カール・マルクス『資本論』全訳
|主要な作品= 社會主義と進化論
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}}
{{wikisource|資本論第一巻|資本論}}
 
''' ''' [[1886]][[14]] - [[1928]][[1223]][[]][[|]][[]][[]][[]]
==人物==
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
旧[[前橋藩]]士の子息。[[クリスチャン]]となり[[同志社大学]]に入るも、途中[[キリスト教]]を捨て中退。高崎市で[[社会主義]][[雑誌]]『東北評論』を発刊、1908年[[新聞紙条例]]により禁固2ヶ月の刑を受け入獄、獄中で英訳のカール・マルクス『[[資本論]]』(1867年出版)に出合う。
 
[[]][[]][[]]退[[]][[]]1908[[]]2[[]]1911[[]][[]] 1915[[]][[]][[]] 1917[[|]]1887[[|]]1918[[]]19191925[[]]
 
19181[[]][[]]
== 生涯 ==
[[File:TAKABATAKE Motoyuki.jpg|thumb|高畠素之]]
高畠素之の生涯は大きく三つの時期に分けられる。(1)生誕から社会主義思想家として立つまで、(2)そこから国家社会主義を提唱するまでのいわゆる正統派マルクス主義者の時代、(3)国家社会主義提唱から晩年までである。
 
19191925[[]][[]][[]]19231[[]]<ref>19</ref>
=== 第一期 ===
高畠は、明治19年1月4日、旧前橋藩士の五男として[[群馬県]][[前橋市]]に生れた。幼い頃は寡黙で根気強かったが、癇癪持ちであった。
 
==生涯==
地元の前橋中学に入学後、同級生から神童と称される。在学中、前橋に訪れた[[海老名弾正]]や[[木下尚江]]の講演を聴き、キリスト教や社会主義に影響を受ける。
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
<!--[[File:TAKABATAKE Motoyuki.jpg|thumb|高畠素之]]-->
高畠素之の生涯は大きく三つの時期に分けられる。(1)生誕から社会主義思想家として立つまで、(2)そこから国家社会主義を提唱するまでのいわゆる正統派マルクス主義者の時代、(3)国家社会主義提唱から晩年までである。
 
===第一期 生誕===
39[[]][[]][[]][[]][[]]退
高畠は、1886年(明治19年)1月4日、旧[[前橋藩]]士の五男として[[群馬県]][[前橋市]]に生れた。
 
地元の旧制[[群馬県立前橋高等学校|前橋中学]]に入学。在学中、前橋に訪れた[[海老名弾正]]や[[木下尚江]]の講演を聴き、キリスト教や社会主義に影響を受ける。
[[]]41[[]]4
 
190639[[]][[]][[]][[]]<ref></ref>[[]]<ref></ref>退
高畠は、禁錮中に監獄で英訳『資本論』に触れ、『資本論』をドイツ語原典で読むべく語学の勉強を志すことになった。またこれ以後、高畠は合法的に運動することを心掛け、無益な闘争は避けるようになったと言われている。
 
1908415[[]][[ ()|]]190841[[]]4
=== 第二期 ===
出獄後、高畠は新たな運動の可能性を求めて神戸、大阪、名古屋を放浪。京都で第三高等学校の英語教師ケデーの門番をつとめたほか、夜間学校の英語教師をして雨露をしのぎもした。しかしドイツ語や『資本論』の研究には余念がなかった。
 
===第二期 正統派マルクス主義者 ===
44[[]][[]]439[[]]西449[[]]
1908
 
1910439[[|]][[]][[]][[]][[]][[]][[ (宿)|]][[]]西191144[[]][[]]
''''''''''''49[[]]5
 
1911449[[]]''''''''''''191549<ref>[[]]</ref>
6
 
1916年(大正5年)には[[山川均]]が売文社に合流し、しばらくして売文社は堺利彦・山川均・高畠素之の合名会社となった。
第一次世界大戦、それに続くロシア革命の影響を受け、高畠は大正7年に「'''政治運動と経済運動'''」を執筆。社会主義運動は、単に経済運動(ストライキなどによる革命)のみならず、政治運動=議会進出が必要であることを強調した。この提言は、[[無政府主義]]=アナーキズム的色彩の強かった日本の社会主義に大きい波紋を広げた。この高畠の提言を受け、直ちに山川均・荒畑寒村らが反論を掲げ、しばし論争となった。この頃から、高畠にようやく後年の国家社会主義的傾向が芽生えはじめ、堺利彦とともに軍人・右翼の集会であった[[老壮会]]に出入するなどし、売文社の間に微妙な空気を醸し出すことになった。
 
19176
[[]]4[[]]84
 
=== 第三期 国家社会主義の提唱 ===
高畠は、[[第一次世界大戦]]とこれに続く[[ロシア革命]]の影響を受け、1918年(大正7年)に「'''政治運動と経済運動'''」を執筆する。社会主義運動は、単に経済運動(ストライキなどによる革命)のみならず、政治運動=議会進出が必要であることを強調した。この提言は、[[無政府主義]]=アナーキズム的色彩の強かった日本の社会主義に大きい波紋を広げた。
便
 
[[]][[]]4
==== (1)国家社会主義 ====
''''''調24[[]]
 
[[]][[]][[]]191984
''''''9''''''111''''''82[[]]
 
====(1)国家社会主義====
1112[[]]''''''12[[]]''''''111''''''13143''''''1415
''''''調24
 
''''''<ref></ref>19209''''''<ref name="#1">11</ref>1''''''<ref>8</ref>2[[]]
355''''''便
 
19221112[[]]''''''192312[[]]''''''<ref name="#1"/>
 
19241''''''<ref>131924141925</ref>19253''''''<ref>141925151926</ref>
==== (2)マルクス研究者 ====
7
 
1928355''''''<ref></ref>便
 
====(2)マルクス研究者====
高畠自身が意識していたというように、これらの著作は社会主義を絶対視せず、つとめて公平中立の立場で書かれ、概ね世間に好評を以て迎えられた。
19187
 
<ref></ref>
==== (3)社会評論家 ====
 
====(3)社会評論家====
高畠の投稿先は、自身の機関紙の外、『太陽』『改造』『解放』『中央公論』『経済往来』(後の『日本評論』)『読売新聞』『報知新聞』などの中央雑誌・新聞であり、多数のエッセイや論文を残している。これらのエッセイは、高畠の意図的判断から、皮肉や辛辣なものが多い。これらの中で比較的有名なものは、『自己を語る』『論・想・談』にまとめられた。
『資本論』翻訳者や、社会主義の研究者などの外社会評論家としても活動した。
 
高畠の投稿先は、自身の機関紙の外、『太陽』、『[[改造社|改造]]』、『解放』、『[[中央公論]]』、『経済往来』(後の『日本評論』)、『[[読売新聞]]』、『[[報知新聞]]』などの中央雑誌・新聞であり、多数のエッセイや論文を残している。これらの中で比較的有名なものは、『自己を語る』『論・想・談』にまとめられた。
2[[]]
 
19283121223[[]]<ref>[[]] 201017</ref>[[]][[]][[]]<ref></ref>[[]]
 
==『資本論』翻訳==
== 国家社会主義理論 ==
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
[[]][[]]辿
高畠が『資本論』に出会ったのは、『東北評論』の筆禍事件で下獄した1908年である。それは当時出版されつつあった英訳の『資本論』であったが、以後高畠はドイツ語原本で『資本論』を読む必要を感じ、独学でドイツ語を習得した。
 
『資本論』は、[[ユニテリアン教会]]伝道団体の[[統一基督教弘道会]]の会長で[[社会民衆党]]議長の[[安部磯雄]]により1909年からごく一部が翻訳されたことはあったが<ref>『'''週刊社会新聞'''』、明治42年(1909年)~明治43年(1910年))</ref>、マルクス経済学独自の用語の難解さもあり、必ずしも読者を満足させるものではなかった。しかし以後のマルクス経済学の進捗と、第一次世界大戦より来たった社会主義の流行と相俟って、日本の読書会にも『資本論』翻訳が熱望されるに至った。
=== 理論骨格 ===
先ず高畠国家社会主義の理論骨格のみを提示すると以下のようになる。
 
1911
''''''
 
[[]]''''''1
ところが社会がある一定の段階に到達([[進化]])して、何等かの文明を持つようになると、この本能的拘束力は有効性を失ってくる。進化した社会は細分化され、自然的拘束力では個人の欲望を抑えることはできず、社会を維持することができなくなる。そこでは人間は、自己の欲望を発揮する為に、好き勝手行うようになる。しかし個人の好き勝手に任せておけば、社会は崩壊する。社会が崩壊すれば、人間は生きておれない。そこで生まれるのが、社会を維持し秩序化するものとしての統制機能である。これは人間が意識的(='''機能的''')に生み出したものである点、自然本能的拘束力と異なっている。
 
[[]][[]]1920611''''''<ref>9192062</ref>
便便''''''
 
12調323132[[]]''''''21924137
 
[[|]]
 
;新潮社版
高畑は、大震災による紙型の焼失を幸いとして、また[[新潮社]]からの申し出もあり、直ちに改訳に着手した。高畠はまず原文を見ずに大鐙閣版『資本論』中の難読箇所を自在に書き改め、ついで再び原文と照らし合わせて訳文の完成を期した。そのため原文の直訳を求めつつ、極力日本文として分りやすい訳文を作る努力を繰り返した。こうして生まれたのが、(1925年大正14年)10月から1926年(大正15年)10月にかけて新潮社から出版された改訳『資本論』全四冊である。
 
高畠もこれには自信をもったらしく、大鐙閣版完成の折は断ったという翻訳完成の慰労会を受け、1926年(大正15年)10月23日、本郷の燕楽軒で「'''資本論の会'''」が開かれた。「資本論の会」は、60人余りの出席者だったとされるが、日頃、高畠と意見のあわなかった[[吉野作造]]を始め、[[上杉慎吉]]、[[石川三四郎]]、[[平野力三]]、[[小川未明]]、[[辻潤]]ら左右両極、修正派・無政府主義者と多彩な顔ぶれであった<ref>'''堺利彦'''は[[共産党事件]]で下獄中であり、参加を申し込めなかった。</ref>。
''''''''''''
 
;改造社版
=== 高畠の実感 ===
[[]]19275<ref>122192710319284</ref>
''''''
 
192887
 
;翻訳の特徴
高畠の翻訳の特徴は、極力無駄な言葉を省き、日本文としてこなれたものを求めたと言われる。これは大鐙閣版『資本論』が直訳的であるのに対し、改造社版が流暢な日本語に置き換えられていることからも推察される。しかしこのような訳法に対して批判がないわけではなかった。特に事実上、改造社版『資本論』と商売上で争うことになった[[河上肇]]は、自身の『資本論』翻訳に際しては、極力原文に忠実に訳すことを目的とし、ためにまま日本語として意味の通じぬところも已むなしとしたほどであった。
 
[[]]
;没後
()[[]]()
 
()[[]]()[[]]使
 
==国家社会主義政党の構想==
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
 
1920''''''<ref>調1929</ref>
=== 社会主義と国家主義 ===
 
''''''[[]][[]][[]]''''''''''''[[]][[]]
 
[[|]]
 
 
高畠素之に影響を受けつつも、純然たる国家主義者として活躍した[[津久井龍雄]]が比較的容易に国家主義者として扱えるのに対し、高畠は社会主義に強い拘りをもったために、'''鵺'''的存在として扱われたのも故なしとしない。高畠の国家社会主義とは、こうした左右何れにも納まらない複雑さを持っている。
 
なお前述の通り、高畠の国家社会主義は彼独自のものである。そのため、同様の名称で呼ばれるロドベルトスやラッサールのいわゆる[[社会改良主義]]とは区別される必要がある。因みに国家社会主義とは、英訳すると'''State Socialism'''が普通であるが、高畠は敢えて'''National Socialism'''と銘打っていた。これは[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]が掲げていた民族社会主義(National Socialism)、つまり[[ナチズム]]と同一であるが、時期的には高畠の主張の方が早く、また高畠自身の死亡時期(昭和3年12月)からも、両者は無関係である。
 
=== 政策・綱領 ===
''''''調
**第一条、国家国体に対する絶対的恭順
**第二条、国家国体に対する犯罪の取締法規を極度に峻厳化する
124 ⟶ 165行目:
**第八条、対中国外交の非帝国主義的合理化による日中共存
 
=== 高畠以後 ===
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
{{独自研究|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
[[]][[]]
 
1936[[]]
 
調
 
1934''''''[[]]
 
1934<ref>[[s:|]]1934[[s:|]]1936[[ ()|]][[]]</ref>1943''''''[[|]][[]]
 
== 資本論の編纂・著書・翻訳 ==
===編纂===
高畠が『資本論』に出会うのは、『東北評論』の筆禍事件で下獄したときであった。それは当時出版されつつあった英訳の『資本論』であったが、以後高畠はドイツ語原本で『資本論』を読む必要を感じ、独学でドイツ語を習得した。
*『社會問題總覽』(公文書院、1920年)
 
[[]]''''''4243
 
 
[[]]''''''1
 
''''''[[]]11''''''962
 
12調323132[[]]''''''2137
 
[[]]14101510151023''''''
 
「資本論の会」は、六十人余りの出席者だったとされるが、日頃、高畠と意見のあわなかった[[吉野作造]]を始め、[[上杉慎吉]]、[[石川三四郎]]、[[平野力三]]、[[小川未明]]、[[辻潤]]ら左右両極、修正派・無政府主義者と多彩な顔ぶれであった('''堺利彦'''は[[共産党事件]]で下獄中であり、参加を申し込めなかった)。
 
[[]]12210348
 
7
 
高畠の翻訳の特徴は、極力無駄な言葉を省き、日本文としてこなれたものを求めたと言われる。これは大鐙閣版『資本論』が直訳的であるのに対し、改造社版が流暢な日本語に置き換えられていることからも推察される。しかしこのような訳法に対して批判がないわけではなかった。特に事実上、改造社版『資本論』と商売上で争うことになった[[河上肇]]は、自身の『資本論』翻訳に際しては、極力原文に忠実に訳すことを目的とし、ためにまま日本語として意味の通じぬところも已むなしとしたほどであった。
 
[[]]
 
''''''
 
[[]]''''''使
 
== 人と特徴 ==
 
== 編纂・著書・翻訳 ==
=== 編纂 ===
*『社會問題總覽』(公文書院、大正9年)
*『社會經濟思想叢書』(事業之日本社、高畠素之編纂)
*『社會問題辞典』(新潮社、大正141925年)- 高畠素之著となっている。社会問題の辞典類では最初期のものである。
*『經濟學説大系』(而立社、安倍浩と共訳)- 著名な経済学説の抜粋集。高畠素之は殆んど訳していない。
*:高畠素之著となっている。社会問題の辞典類では最初期のものである。
*[[]]- 
*『社會哲學新學説大系』(新潮社、北昤吉と編輯)
*:
*『マルクス思想叢書』(新潮社、高畠素之編輯)
 
=== 著書 ===
*1919 - 1919192119252
*『社會主義と進化論』(賣文社、大正8年)
*『マルクス學研究』(公文書院、1919年) - 高畠素之のマルクス研究の初期研究書。大鐙閣でも同年に出版している。内容は同じ。
*:810142
*『社會主義的諸研究』(大衆社、1920年) - マルクス研究』(公文の第二研究院、正8鐙閣でも同に出版している。
*『幻滅者の社會觀』(大鐙閣、1922年) - 初のエッセイ集。
*:
*1926 - 1928
*『社會主義的諸研究』(大衆社、大正9年)
*『自己を語る』(人文會出版部、1926年)- 二冊目のエッセイ集。増補版が同じ出版社から1928年に出ている。
*:マルクス研究の第二研究書。大鐙閣でも同年に出版している。
*『マルキシズムと國家主義』(改造社、1927年) - 『マルキシズム概説』と『国家主義概説』を足したもの。それぞれ講座物で発表されていた論文。
*『幻滅者の社會觀』(大鐙閣、大正11年):初のエッセイ集。
*『論・想・談』(人文会出版部、1927年)- 三冊目のエッセイ集。
*『マルクス十二講』(新潮社、大正15年)
*1928 - 
*:3
*『ムッソリーニとその思想』(事業之日本社、1928年) - ムッソリーニの伝記とファシスト党の概説。全四章の内、第二章を津久井龍雄が執筆している。
*『自己を語る』(人文會出版部、昭和元年)
*『マルクス経済學』(日本評論社、1929年) - 『現代経済学全書』の一冊。高畠素之の絶筆で、全体の三分の一ほどを執筆している。
*:二冊目のエッセイ集。増補版が同じ出版社から昭和3年に出ている。
*1929 - 
*『マルキシズムと國家主義』(改造社、昭和2年)
*『英雄崇拝と看板心理』(忠誠堂、1930年) - 門下が高畠素之の遺稿を集めてつくったもの。
*:『マルキシズム概説』と『国家主義概説』を足したもの。それぞれ講座物で発表されていた論文。
*『論・想・談』(人文会出版部、昭和2年):三冊目のエッセイ集。
*『地代思想史』(日本評論社、昭和3年)
*:
*『ムッソリーニとその思想』(事業之日本社、昭和3年)
*:ムッソリーニの伝記とファシスト党の概説。全四章の内、第二章を津久井龍雄が執筆している。
*『マルクス経済學』(日本評論社、昭和4年)
*:『現代経済学全書』の一冊。高畠素之の絶筆で、全体の三分の一ほどを執筆している。
*『批判マルクス主義』(日本評論社、昭和4年)
*:
*『英雄崇拝と看板心理』(忠誠堂、昭和5年):門下が高畠素之の遺稿を集めてつくったもの。
 
=== 翻訳 ===
<!--翻訳書は完全でない可能性があります。国会図書館の目録などを参考にしてください。-->
*1919 - 1919192419251927
*『資本論解説』(売文社、大正8年)
[[File:Ad of translated Karl Marx works (Japan).jpg|thumb|360px|大鐙閣『マルクス全集』の1920年の官報公告。]]
*:カウツキーの『カール・マルクスの経済学説』を翻訳したもの。三田書房(大正8年)から同じものが、而立社(大正13年)とアテネ書院(大正14年)からその改訂版が、最後に改造社(昭和2年)から決定版が出版された。
*『資本論』
*#[[]]12319201922 - [[s:Portal:1922|]]1321348()<ref>11[[[]]12[[]]</ref>[[]][[]][[]][[|]][[]][[]][[]][[西]][[]][[]]西
*#大鐙閣(第一巻:大正9~10年。第三巻:大正10~11年)
*#[[而立社]](第二巻:大正12~13(2冊、全集の第七巻):1923):以~1924年) -は同じも記の大鐙閣版全集続き。大鐙閣倒産後に而立社(じりゅうしゃ)が肩代わりして出版した。
*#[[新潮社(大正14~15]](1925年~1926年): - 大鐙閣・而立社の全面改訂版。大幅に訳文が変った。
*#[[23]]19271928: - 
*『社會主義社會學』(三田書房、1920年) - [[アーサー・M・ルイス]](Arthur Morrow Lewis)の『社会学への手引き』の訳述<ref>[https://en.wikisource.org/wiki/Author:Arthur_Morrow_Lewis アーサー・M・ルイス] - ウィキソース英語版。</ref>。大鐙閣(1921年)で同じものが出版され、『社会学講話』と改題してアテネ書院(1925年)から再版、最終的に改造社(昭和二年)からも出版された。
*『社會主義社會學』(三田書房、大正9年)
*:Arthur Lewis101921 - [[]]141925
*1924 - [[]]
*『財産進化論』(大鐙閣、大正10年)
*『唯物史觀の改造』(新潮社、1924年) - [[ツガン・バラノヴスキイ]](Tugan-Baranovsky)の著書『マルキシズムの学説的基礎』(部分)を訳述したもの。
*:[[ポール・ラファルグ]]の著書の翻訳。『財産の進化』と改題して新潮社(大正14年)からも『新学説大系』の一冊として出た。
*『社會學思想の人生的價値』(新潮社、1925年) - [[アルビオン・スモール]]の著書の訳述。『新学説大系』の一つ。
*『古代社會』(上下冊。而立社、大正13年)
*『マルクスの余剰價値説』(実業之日本社、1925年) - 主として『資本論』中の剰余価値学説に関係する部分を抜粋し、他の学者の説を並置解説したもの。書名の余剰は高畠の訳語で他の訳者は剰余としている。
*:モルガンの著書の翻訳。ただし上冊の大半と下冊すべては村尾昇一が翻訳した。
*『哲學の窮乏』(新潮社、1927年) - 『マルクス著作集』の一つ。現在は『哲学の貧困』と訳されているもの。独逸訳(オリジナルは仏蘭西語、カウツキーとベルンシュタインの訳)からの重訳。
*『唯物史觀の改造』(新潮社、大正13年)
*:[[ツガン・バラノヴスキイ]](Tugan-Baranovsky)の著書『マルキシズムの学説的基礎』(部分)を訳述したもの。
*『社會學思想の人生的價値』(新潮社、大正14年)
*:アルピオン・スモールの著書の訳述。『新学説大系』の一つ。
*『マルクスの余剰價値説』(実業之日本社、大正14年)
*:主として『資本論』中の剰余価値学説に関係する部分を抜粋し、他の学者の説を並置解説したもの。書名の余剰は剰余と同じ。
*『哲學の窮乏』(新潮社、昭和2年)
*:『マルクス著作集』の一つ。現在は『哲学の貧困』と訳されているもの。
 
== 参考文献 ==
*;主要人物論・回想記
**伊井敬(近藤栄蔵)「高畠素之」『解放』第3巻第5号、大正101921年5月
**岡陽之助(岩沢巌)「高畠素之論」第二次『解放』第5巻第2号、大正151926年2月
**「高畠素之氏の印象」第二次『随筆』第2巻第2号、昭和21927年2月
**XYZ31031928101919
**堺利彦「高畠素之君を懐ふ」『経済往来』第4巻第2号、昭和41929年2月
**白柳秀湖「哲學者の槍さび―逝ける高畠氏のことども―」『改造』第11巻第2号、昭和41929年2月
**519309215ISBN 4-87236-514-3 
**「高畠素之追悼記念号」『急進』第2巻第11号、昭和51930年12月
**津久井龍雄『日本国家主義運動史論』中央公論社、昭和171942
**同『私の昭和史』創元社、昭和331958
**「高畠素之の思想と人間」『新勢力』第12巻第4号、昭和421967年5月
**田中真人『高畠素之 : 日本の国家社会主義』現代評論社、昭和531978
 
*;資本論関連
**高畠素之「資本論を了へて」『自己を語る』、人文会出版部、大正151926
**同「資本論の会」同上
**堺利彦「新訳資本論の一節を読む」『マルクス主義』第4巻第3号、大正151926年3月
**青野季吉「二つの『資本論』―高畠氏訳本と河上・宮川氏訳本について―」[[東京朝日新聞]]』(朝刊)昭和2)1927年10月27日
**201986[[]]21927117
**同「翻訳批判の基準―高畠本『資本論』は如何に辯護されたか―」『東京日日新聞』同年同月21日
**石川準十郎「高畠本の忠実性─両『資本論』の批判─」『東京日日新聞』昭和21927年11月12日
**福田徳三「アリストテーレスの「流通の正義」=マルクスの其解釈に関する疑」『改造』第10巻第1号、昭和31928年1月
**842192712<ref></ref>
**福田徳三「河上博士の『真摯なる態度』と『事実の虚構』」『改造』第10巻第2号、昭和31928年2月
**鈴木鴻一郎『「資本論」と日本』弘文堂、昭和341959
**水島治男『改造社の時代(戦前編)』図書出版社、昭和511976
 
==出典脚注==
{{reflist|2}}
 
==リンク 関連項目 ==
* [[第一インターナショナル]]
 
== 外部リンク ==
* [http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/index2.html 新版『高畠素之選集』]
** [http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/index2c.html 高畠素之の部屋]
* [http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/ 歴史が眠る多磨霊園]
* [https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/490/ 高畠素之] - 国立国会図書館『近代日本人の肖像』
* 『[https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?searchWordFulltext=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%85%A8%E9%9B%86&featureCode=all&viewRestrictedList=0%7C2&fulltext=1&searchWord=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%85%A8%E9%9B%86&sort1=5 マルクス全集]』- 国立国会図書館
 
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