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|内容過剰=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)
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[[Image:Motoyuki Takabatake.JPG|thumb|200px|高畠素之]]
'''高畠 素之'''(たかばたけ もとゆき、[[1886年]][[1月4日]] - [[1928年]][[12月23日]])は[[日本]]の社会思想家、哲学者。[[国家社会主義]]を唱えた。
 
{{Infobox 学者
|名前= <!-- 姓と名がある場合は間に半角スペースを入れ、<br />の後に(人名のふりがなを入れる。)を入れる。 -->
|画像= TAKABATAKE_Motoyuki.jpg <!--Motoyuki Takabatake.JPG-->
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|全名= 高畠素之
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|誕生名=
|生年月日= 1886年1月4日<!-- {{生年月日と年齢|YYYY|MM|DD}} -->
|生誕地= [[群馬県]][[前橋市]]
|没年月日= {{死亡年月日と没年齢|1886|1|4|1928|12|13}}
|死没地= <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 -->
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|研究分野= 哲学・マルクス学
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|主な業績= カール・マルクス『資本論』全訳
|主要な作品= 社會主義と進化論
|影響を受けた人物=
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|脚注=
}}
{{wikisource|資本論第一巻|資本論}}
 
''' ''' [[1886]][[14]] - [[1928]][[1223]][[]][[|]][[]][[]][[]]
==人物==
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
[[]][[]][[]][[]]退[[]][[]]1908[[]]2[[]]1867
1911[[]][[]] 1915[[]][[]][[]] 1917[[|]]1887[[|]]
1918119181[[]][[]]19191925
19191925[[]][[]][[]]19231[[]]<ref>19</ref>
 
==生涯==
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
<!--[[File:TAKABATAKE Motoyuki.jpg|thumb|高畠素之]]-->
高畠素之の生涯は大きく三つの時期に分けられる。(1)生誕から社会主義思想家として立つまで、(2)そこから国家社会主義を提唱するまでのいわゆる正統派マルクス主義者の時代、(3)国家社会主義提唱から晩年までである。
 
===第一期 生誕===
高畠は、1886年(明治19年(1886年)1月4日、旧[[前橋藩]]士の五男として[[群馬県]][[前橋市]]に生れた。
 
[[|]][[]][[]]
 
1906391906[[]][[]][[]][[]]<ref></ref>[[]]<ref></ref>退
 
1908415[[]][[ ()|]]1908411908[[]]4
 
===第二期 正統派マルクス主義者 ===
1908
 
1910444319119[[|]][[]][[]][[]]4319109[[]][[]][[ (宿)|]][[]]西191144[[]][[]]4419119[[]]
 
1911449[[]]''''''''''''1915419159<ref>[[]]51916</ref>
 
1916年(大正5年)には[[山川均]]が売文社に合流し、しばらくして売文社は堺利彦・山川均・高畠素之の合名会社となった。
61917
 
19176
[[第一次世界大戦]]、それに続く[[ロシア革命]]の影響を受け、高畠は大正7年(1918年)に「'''政治運動と経済運動'''」を執筆。社会主義運動は、単に経済運動(ストライキなどによる革命)のみならず、政治運動=議会進出が必要であることを強調した。この提言は、[[無政府主義]]=アナーキズム的色彩の強かった日本の社会主義に大きい波紋を広げた。この高畠の提言を受け、直ちに山川均・荒畑寒村らが反論を掲げ、しばし論争となった。この頃から、高畠にようやく後年の国家社会主義的傾向が芽生えはじめ、堺利彦とともに軍人・右翼の集会であった[[老壮会]]に出入するなどし、売文社の間に微妙な空気を醸し出すことになった。
 
===第三期 国家社会主義の提唱 ===
[[]]4[[]]819194
高畠は、[[第一次世界大戦]]とこれに続く[[ロシア革命]]の影響を受け、1918年(大正7年)に「'''政治運動と経済運動'''」を執筆する。社会主義運動は、単に経済運動(ストライキなどによる革命)のみならず、政治運動=議会進出が必要であることを強調した。この提言は、[[無政府主義]]=アナーキズム的色彩の強かった日本の社会主義に大きい波紋を広げた。
 
[[]][[]]4
===第三期===
 
国家社会主義者として世に出た高畠は、その没年に至るまで、主として『資本論』の翻訳に時間を費やした。この時期の高畠は以下の三つの側面がある。
[[]][[]][[]]191984
 
====(1)国家社会主義====
''''''調24
 
''''''<ref></ref>19209''''''<ref name="#1">11</ref>1''''''<ref>8</ref>2[[]]
 
19221112[[]]''''''192312[[]]''''''<ref name="#1"/>
''''''91920''''''111''''''82[[]]
 
11192212[[]]''''''121923[[]]''''''1119241''''''<ref>131924141925</ref>19253''''''<ref>141925151926</ref>
 
19283192855''''''<ref></ref>便
 
====(2)マルクス研究者====
191871918
 
<ref></ref>
 
====(3)社会評論家====
『資本論』翻訳者や、社会主義の研究者などの外社会評論家としても活動した。
 
稿[[|]][[]][[]][[]]
 
1928319281223[[]]<ref>[[]] 201017</ref>[[]][[]][[]]<ref></ref>[[]]
 
==『資本論』翻訳==
==政策・綱領==
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
高畠が『資本論』に出会ったのは、『東北評論』の筆禍事件で下獄した1908年である。それは当時出版されつつあった英訳の『資本論』であったが、以後高畠はドイツ語原本で『資本論』を読む必要を感じ、独学でドイツ語を習得した。
''''''調
**第一条、国家国体に対する絶対的恭順
**第二条、国家国体に対する犯罪の取締法規を極度に峻厳化する
**第三条、農民の生活安定策(配給制や低利資金の融資)の実施
**第四条、工場労働者の生活安定
**第五条、徴兵に伴う失業防止策
**第六条、物価の公定策
**第七条、軍備の非拡張的充実
**第八条、対中国外交の非帝国主義的合理化による日中共存
 
『資本論』は、[[ユニテリアン教会]]伝道団体の[[統一基督教弘道会]]の会長で[[社会民衆党]]議長の[[安部磯雄]]により1909年からごく一部が翻訳されたことはあったが<ref>『'''週刊社会新聞'''』、明治42年(1909年)~明治43年(1910年))</ref>、マルクス経済学独自の用語の難解さもあり、必ずしも読者を満足させるものではなかった。しかし以後のマルクス経済学の進捗と、第一次世界大戦より来たった社会主義の流行と相俟って、日本の読書会にも『資本論』翻訳が熱望されるに至った。
==高畠以後==
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
{{独自研究|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
[[]][[]]
 
1911
[[]]
 
[[]]''''''1
それに対し石川は、主として研究的側面に高畠理論を発展させた。特に石川は、高畠にあっては国家と社会との関係が整合的に捉えられていなかった点を踏み込んで分析し、国家が亡びても社会はなくならず、常に社会を基準として再び国家を取り戻す運動が起こることを指摘している。しかし国家なき社会が如何に悲惨な境遇に置かれるかを指摘し、国家必要の重要性を強調している。
 
[[]][[]]1920611''''''<ref>9192062</ref>
''''''[[]]
 
12調323132[[]]''''''21924137
石川にはこれ以外にも、日本に於ける最も早いナチス紹介者として知られている。その著『'''マイン・カンプの研究'''』は、その名の通り[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]『[[我が闘争]]』第一部の研究書である。石川は自己の国家社会主義の正しさを信じ、敗戦後も一貫して国家社会主義を奉じた。
 
==資本論の翻訳==
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
高畠が『資本論』に出会うのは、『東北評論』の筆禍事件で下獄したときであった。それは当時出版されつつあった英訳の『資本論』であったが、以後高畠はドイツ語原本で『資本論』を読む必要を感じ、独学でドイツ語を習得した。
 
;新潮社版
[[]]''''''421909431910
高畑は、大震災による紙型の焼失を幸いとして、また[[新潮社]]からの申し出もあり、直ちに改訳に着手した。高畠はまず原文を見ずに大鐙閣版『資本論』中の難読箇所を自在に書き改め、ついで再び原文と照らし合わせて訳文の完成を期した。そのため原文の直訳を求めつつ、極力日本文として分りやすい訳文を作る努力を繰り返した。こうして生まれたのが、(1925年大正14年)10月から1926年(大正15年)10月にかけて新潮社から出版された改訳『資本論』全四冊である。
 
高畠もこれには自信をもったらしく、大鐙閣版完成の折は断ったという翻訳完成の慰労会を受け、1926年(大正15年)10月23日、本郷の燕楽軒で「'''資本論の会'''」が開かれた。「資本論の会」は、60人余りの出席者だったとされるが、日頃、高畠と意見のあわなかった[[吉野作造]]を始め、[[上杉慎吉]]、[[石川三四郎]]、[[平野力三]]、[[小川未明]]、[[辻潤]]ら左右両極、修正派・無政府主義者と多彩な顔ぶれであった<ref>'''堺利彦'''は[[共産党事件]]で下獄中であり、参加を申し込めなかった。</ref>。
 
;改造社版
[[]]''''''1
[[]]19275<ref>122192710319284</ref>
 
192887
''''''[[]]11''''''9192062
 
;翻訳の特徴
12調323132[[]]''''''21319247
高畠の翻訳の特徴は、極力無駄な言葉を省き、日本文としてこなれたものを求めたと言われる。これは大鐙閣版『資本論』が直訳的であるのに対し、改造社版が流暢な日本語に置き換えられていることからも推察される。しかしこのような訳法に対して批判がないわけではなかった。特に事実上、改造社版『資本論』と商売上で争うことになった[[河上肇]]は、自身の『資本論』翻訳に際しては、極力原文に忠実に訳すことを目的とし、ためにまま日本語として意味の通じぬところも已むなしとしたほどであった。
 
[[]]
[[]]14192510151926101519261023''''''
;没後
()[[]]()
 
()[[]]()[[]]使
「資本論の会」は、六十人余りの出席者だったとされるが、日頃、高畠と意見のあわなかった[[吉野作造]]を始め、[[上杉慎吉]]、[[石川三四郎]]、[[平野力三]]、[[小川未明]]、[[辻潤]]ら左右両極、修正派・無政府主義者と多彩な顔ぶれであった('''堺利彦'''は[[共産党事件]]で下獄中であり、参加を申し込めなかった)。
 
==国家社会主義政党の構想==
[[]]1221927103192848
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
1920''''''<ref>調1929</ref>
**第一条、国家国体に対する絶対的恭順
**第二条、国家国体に対する犯罪の取締法規を極度に峻厳化する
**第三条、農民の生活安定策(配給制や低利資金の融資)の実施
**第四条、工場労働者の生活安定
**第五条、徴兵に伴う失業防止策
**第六条、物価の公定策
**第七条、軍備の非拡張的充実
**第八条、対中国外交の非帝国主義的合理化による日中共存
 
==高畠以後==
7
{{出典の明記|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
{{独自研究|date=2017年8月21日 (月) 03:14 (UTC)|section=1}}
[[]][[]]
 
1936[[]]
高畠の翻訳の特徴は、極力無駄な言葉を省き、日本文としてこなれたものを求めたと言われる。これは大鐙閣版『資本論』が直訳的であるのに対し、改造社版が流暢な日本語に置き換えられていることからも推察される。しかしこのような訳法に対して批判がないわけではなかった。特に事実上、改造社版『資本論』と商売上で争うことになった[[河上肇]]は、自身の『資本論』翻訳に際しては、極力原文に忠実に訳すことを目的とし、ためにまま日本語として意味の通じぬところも已むなしとしたほどであった。
 
それに対し、石川は、主として研究的側面に高畠理論を発展させた。特に石川は、高畠にあっては国家と社会との関係が整合的に捉えられていなかった点を踏み込んで分析し、国家が亡びても社会はなくならず、常に社会を基準として再び国家を取り戻す運動が起こることを指摘している。しかし国家なき社会が如何に悲惨な境遇に置かれるかを指摘し、国家必要の重要性を強調している。
[[]]
 
1934''''''[[]]
''''''
 
1934<ref>[[s:|]]1934[[s:|]]1936[[ ()|]][[]]</ref>1943''''''[[|]][[]]
[[]]''''''使
 
==編纂・著書・翻訳==
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*『社會問題總覽』(公文書院、1920年)
*『社會經濟思想叢書』(事業之日本社、高畠素之編纂)
*『社會問題辞典』(新潮社、1925年)- 高畠素之著となっている。社会問題の辞典類では最初期のものである。
*『經濟學説大系』(而立社、安倍浩と共訳)- 著名な経済学説の抜粋集。高畠素之は殆んど訳していない。
*:高畠素之著となっている。社会問題の辞典類では最初期のものである。
*[[]]- 
*『社會哲學新學説大系』(新潮社、北昤吉と編輯)
*:
*『マルクス思想叢書』(新潮社、高畠素之編輯)
 
===著書===
*1919 - 1919192119252
*『社會主義と進化論』(賣文社、1919年)
*『マルクス學研究』(公文書院、1919年) - 高畠素之のマルクス研究の初期研究書。大鐙閣でも同年に出版している。内容は同じ。
*:1919192119252
*『社會主義的諸研究』(大衆社、1920年) - マルクス研究の第二研究書。大鐙閣でも同年に出版している。
*『マルクス學研究』(公文書院、1919年)
*『幻滅者の社會觀』(大鐙閣、1922年) - 初のエッセイ集。
*:
*1926 - 1928
*『社會主義的諸研究』(大衆社、1920年)
*『自己を語る』(人文會出版部、1926年)- 二冊目のエッセイ集。増補版が同じ出版社から1928年に出ている。
*:マルクス研究の第二研究書。大鐙閣でも同年に出版している。
*『マルキシズムと國家主義』(改造社、1927年) - 『マルキシズム概説』と『国家主義概説』を足したもの。それぞれ講座物で発表されていた論文。
*『幻滅者の社會觀』(大鐙閣、1922年):初のエッセイ集。
*『マルクス十二講論・想・談』(新潮社人文会出版部19261927年)- 三冊目のエッセイ集。
*1928 - 
*:1928
*『ムッソリーニとその思想』(事業之日本社、1928年) - ムッソリーニの伝記とファシスト党の概説。全四章の内、第二章を津久井龍雄が執筆している。
*『自己を語る』(人文會出版部、1926年)
*『マルクス経済學』(日本評論社、1929年) - 『現代経済学全書』の一冊。高畠素之の絶筆で、全体の三分の一ほどを執筆している。
*:二冊目のエッセイ集。増補版が同じ出版社から1928年に出ている。
*1929 - 
*『マルキシズムと國家主義』(改造社、1927年)
*『英雄崇拝と看板心理』(忠誠堂、1930年) - 門下が高畠素之の遺稿を集めてつくったもの。
*:『マルキシズム概説』と『国家主義概説』を足したもの。それぞれ講座物で発表されていた論文。
*『論・想・談』(人文会出版部、1927年):三冊目のエッセイ集。
*『地代思想史』(日本評論社、1928年)
*:
*『ムッソリーニとその思想』(事業之日本社、1928年)
*:ムッソリーニの伝記とファシスト党の概説。全四章の内、第二章を津久井龍雄が執筆している。
*『マルクス経済學』(日本評論社、1929年)
*:『現代経済学全書』の一冊。高畠素之の絶筆で、全体の三分の一ほどを執筆している。
*『批判マルクス主義』(日本評論社、1929年)
*:
*『英雄崇拝と看板心理』(忠誠堂、1930年):門下が高畠素之の遺稿を集めてつくったもの。
 
===翻訳===
<!--翻訳書は完全でない可能性があります。国会図書館の目録などを参考にしてください。-->
*1919 - 1919192419251927
*『資本論解説』(売文社、1919年)
[[File:Ad of translated Karl Marx works (Japan).jpg|thumb|360px|大鐙閣『マルクス全集』の1920年の官報公告。]]
*:カウツキーの『カール・マルクスの経済学説』を翻訳したもの。三田書房(1919年)から同じものが、而立社(1924年)とアテネ書院(1925年)からその改訂版が、最後に改造社(1927年)から決定版が出版された。
*『資本論』
*#[[]]12319201922 - [[s:Portal:1922|]]1321348()<ref>11[[[]]12[[]]</ref>[[]][[]][[]][[|]][[]][[]][[]][[西]][[]][[]]西
*#大鐙閣(第一巻:1920~1921年。第三巻:1921~1922年)
*#[[而立社]](第二巻:1923~1924(2冊、全集の第七巻):1923):以~1924年) -は同じも記の大鐙閣版全集続き。大鐙閣倒産後に而立社(じりゅうしゃ)が肩代わりして出版した。
*#[[新潮社(1925~1926]](1925年~1926年): - 大鐙閣・而立社の全面改訂版。大幅に訳文が変った。
*#[[19271928]]19271928: - 
*『社會主義社會學』(三田書房、1920年) - [[アーサー・M・ルイス]](Arthur Morrow Lewis)の『社会学への手引き』の訳述<ref>[https://en.wikisource.org/wiki/Author:Arthur_Morrow_Lewis アーサー・M・ルイス] - ウィキソース英語版。</ref>。大鐙閣(1921年)で同じものが出版され、『社会学講話』と改題してアテネ書院(1925年)から再版、最終的に改造社(昭和二年)からも出版された。
*『社會主義社會學』(三田書房、1920年)
*:Arthur Lewis19211921 - [[]]1925
*1924 - [[]]
*『財産進化論』(大鐙閣、1921年)
*『唯物史觀の改造』(新潮社、1924年) - [[ツガン・バラノヴスキイ]](Tugan-Baranovsky)の著書『マルキシズムの学説的基礎』(部分)を訳述したもの。
*:[[ポール・ラファルグ]]の著書の翻訳。『財産の進化』と改題して新潮社(1925年)からも『新学説大系』の一冊として出た。
*『社會學思想の人生的價値』(新潮社、1925年) - [[アルビオン・スモール]]の著書の訳述。『新学説大系』の一つ。
*『古代社會』(上下冊。而立社、1924年)
*『マルクスの余剰價値説』(実業之日本社、1925年) - 主として『資本論』中の剰余価値学説に関係する部分を抜粋し、他の学者の説を並置解説したもの。書名の余剰は高畠の訳語で他の訳者は剰余としている。
*:モルガンの著書の翻訳。ただし上冊の大半と下冊すべては村尾昇一が翻訳した。
*『哲學の窮乏』(新潮社、1927年) - 『マルクス著作集』の一つ。現在は『哲学の貧困』と訳されているもの。独逸訳(オリジナルは仏蘭西語、カウツキーとベルンシュタインの訳)からの重訳。
*『唯物史觀の改造』(新潮社、1924年)
*:[[ツガン・バラノヴスキイ]](Tugan-Baranovsky)の著書『マルキシズムの学説的基礎』(部分)を訳述したもの。
*『社會學思想の人生的價値』(新潮社、1925年)
*:アルピオン・スモールの著書の訳述。『新学説大系』の一つ。
*『マルクスの余剰價値説』(実業之日本社、1925年)
*:主として『資本論』中の剰余価値学説に関係する部分を抜粋し、他の学者の説を並置解説したもの。書名の余剰は剰余と同じ。
*『哲學の窮乏』(新潮社、1927年)
*:『マルクス著作集』の一つ。現在は『哲学の貧困』と訳されているもの。
 
==参考文献==
*;主要人物論・回想記
**伊井敬(近藤栄蔵)「高畠素之」『解放』第3巻第5号、1921年5月
**岡陽之助(岩沢巌)「高畠素之論」第二次『解放』第5巻第2号、1926年2月
**「高畠素之氏の印象」第二次『随筆』第2巻第2号、1927年2月
**XYZ3101928101919
**堺利彦「高畠素之君を懐ふ」『経済往来』第4巻第2号、1929年2月
**白柳秀湖「哲學者の槍さび―逝ける高畠氏のことども―」『改造』第11巻第2号、1929年2月
**19309215ISBN 4-87236-514-3 
**「高畠素之追悼記念号」『急進』第2巻第11号、1930年12月
**津久井龍雄『日本国家主義運動史論』中央公論社、1942年
**同『私の昭和史』創元社、1958年
**「高畠素之の思想と人間」『新勢力』第12巻第4号、1967年5月
**田中真人『高畠素之 : 日本の国家社会主義』現代評論社、1978年
 
*;資本論関連
**高畠素之「資本論を了へて」『自己を語る』、人文会出版部、1926年
**同「資本論の会」同上
**堺利彦「新訳資本論の一節を読む」『マルクス主義』第4巻第3号、1926年3月
**青野季吉「二つの『資本論』―高畠氏訳本と河上・宮川氏訳本について―」[[東京朝日新聞]]』(朝刊)1927年10月27日
**201986[[]]1927117
**同「翻訳批判の基準―高畠本『資本論』は如何に辯護されたか―」『東京日日新聞』同年同月21日
**石川準十郎「高畠本の忠実性─両『資本論』の批判─」『東京日日新聞』1927年11月12日
**福田徳三「アリストテーレスの「流通の正義」=マルクスの其解釈に関する疑」『改造』第10巻第1号、1928年1月
**84192712<ref></ref>
**福田徳三「河上博士の『真摯なる態度』と『事実の虚構』」『改造』第10巻第2号、1928年2月
**鈴木鴻一郎『「資本論」と日本』弘文堂、1959年
**水島治男『改造社の時代(戦前編)』図書出版社、1976年
 
==出典脚注==
{{reflist|2}}
 
== 関連項目 ==
* [[第一インターナショナル]]
 
== 外部リンク ==
215 ⟶ 258行目:
** [http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/index2c.html 高畠素之の部屋]
* [http://www6.plala.or.jp/guti/cemetery/ 歴史が眠る多磨霊園]
* [https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/490/ 高畠素之] - 国立国会図書館『近代日本人の肖像』
* 『[https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?searchWordFulltext=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%85%A8%E9%9B%86&featureCode=all&viewRestrictedList=0%7C2&fulltext=1&searchWord=%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E5%85%A8%E9%9B%86&sort1=5 マルクス全集]』- 国立国会図書館
 
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:たかはたけ もとゆき}}
[[Category:1886年生19世紀日本の哲学者]]
[[Category:1928年没20世紀日本の哲学者]]
[[Category:胃癌で亡くなった人物19世紀日本の著作家]]
[[Category:群馬県出身20世紀日本人物著作家]]
[[Category:19世紀日本の翻訳家]]
[[Category:20世紀日本の翻訳家]]
[[Category:19世紀のプロテスタント信者]]
[[Category:20世紀のプロテスタント信者]]
[[Category:日本のマルクス主義者]]
[[Category:日本の思想家]]
[[Category:日本の社会運動家]]
[[Category:日本の労働運動家]]
[[Category:日本の政治運動家]]
[[Category:群馬県立前橋高等学校出身日本人物国家社会主義者]]
[[Category:日本のプロテスタントの信者]]
[[Category:プロテスタントの棄教者]]
[[Category:群馬県立前橋高等学校出身の人物]]
[[Category:群馬県出身の人物]]
[[Category:1886年生]]
[[Category:1928年没]]
[[Category:胃癌で亡くなった人物]]
[[Category:多磨霊園に埋葬されている人物]]