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|生年月日= 1886年1月4日<!-- {{生年月日と年齢|YYYY|MM|DD}} -->
|生誕地= [[群馬県]][[前橋市]]
|没年月日=
|死没地= <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 -->
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高畠の投稿先は、自身の機関紙の外、﹃太陽﹄、﹃[[改造社|改造]]﹄、﹃解放﹄、﹃[[中央公論]]﹄、﹃経済往来﹄︵後の﹃日本評論﹄︶、﹃[[読売新聞]]﹄、﹃[[報知新聞]]﹄などの中央雑誌・新聞であり、多数のエッセイや論文を残している。これらの中で比較的有名なものは、﹃自己を語る﹄﹃論・想・談﹄にまとめられた。 高畑は﹃資本論﹄全訳、マルクス経済学の権威、国家社会主義者、社会評論家と、多数の顔を持ったが、その絶頂期とも言える時期に病に倒れ、そして突如として1928年︵昭和3年︶12月23日に、[[胃癌]]のため自宅にて没した<ref>[[服部敏良]]﹃事典有名人の死亡診断 近代編﹄付録﹁近代有名人の死因一覧﹂︵吉川弘文館、2010年︶17頁</ref>。葬式には、堺利彦ら左翼や高畠門下を始め、[[上杉慎吉]]、[[赤尾敏]]、[[梅津勘兵衛]]など多数の右翼の関係者が集まった<ref>堺利彦﹃高畠素之君を懷ふ﹄</ref>。墓所は[[多磨霊園]]。 ==『資本論』翻訳==
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しかしこの動きと前後して、突如として[[松浦要]]と[[生田長江]]の﹃資本論﹄翻訳が出版された。この松浦訳と生田訳の﹃資本論﹄は、必ずしも識者を満足させるに至らなかったが、当の高畠自身が執拗に攻撃し、また罵詈雑言を浴びせかけ、遂には完訳を断念するのやむなきに至らしめたほどであった。こうして同業者を駆逐した後、高畠は1920年6月、まず﹃資本論﹄第1巻第1分冊を'''大鐙閣'''から出版した<ref>大正9年︵1920年︶6月。本冊と第2分冊のみ福田徳三の校注がついているが、校注番号があるのみで、注の本文はない。</ref>。 高畠は第1巻第2分冊以下を順調に刊行していったが、途中で福田徳三門下が翻訳を放棄したため、第3巻も高畠の翻訳担当となり、続いて第2巻翻訳者も遁走したため、結局高畠が﹃資本論﹄全3巻を独力で翻訳することになった。そのため第1巻、第3巻、第2巻という順序で刊行され、また出版社の大鐙閣が[[関東大震災]]の余波で倒産し、'''而立社'''︵大鐙閣の しかし大鐙閣版﹃資本論﹄は、高畠自身、満足できるものではなかった。高畠によると、余りに原文に忠実に訳しすぎたため、訳文のみでは何を書いているか分らないものになってしまったというのである。 149行目:
これは﹃資本論﹄の如き難解の書を訳す場合には、訳者の訳法に影響されるものであるが、これについて[[三木清]]が高畠訳を批判したため、いささか論争を起こしたことがあった。また高畠も、河上が高畠訳を批判する割りに、自身の翻訳は一向に完成させないことに苛立ちを覚えていたと言われている。しかし河上の翻訳は結局完成せず、また高畠自身もそれを知ることなく世を去った。 ;没後
﹃資本論﹄翻訳は、高畠の没後も、河上肇(宮川実と共訳、岩波文庫・第一巻の第五分冊まで、その後改造社から第一巻上冊のみ下冊は校正段階で中絶)、その門下の[[長谷部文雄]](日本評論社。第一巻上下のみ第二巻以降は刊行できず)らによって試みられるが、時勢の困難もあり、遂に完訳には至らなかった。そのため高畠訳﹃資本論﹄は、戦前を通じて唯一の全訳﹃資本論﹄となった。 敗戦後、高畠訳﹃資本論﹄は二度ほど出版されたが︵未来社、東洋書館︶、既に長谷部文雄(日本評論社のちに青木書店、角川文庫、河出書房)、[[向坂逸郎]](岩波文庫)、[[岡崎次郎]]︵大月書店、マルクス・エンゲルス全集︶らによって新訳が刊行されたこともあり、時代的使命を終えて今日に至っている。 ==国家社会主義政党の構想==
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*『社會問題辞典』(新潮社、1925年)- 高畠素之著となっている。社会問題の辞典類では最初期のものである。
*『經濟學説大系』(而立社、安倍浩と共訳)- 著名な経済学説の抜粋集。高畠素之は殆んど訳していない。
*﹃社會哲學新學説大系﹄︵[[新潮社]]、北昤吉と編輯︶- 高畠門下を多数動員して編纂されたもの。著名な外国書の訳述。ただし短編の場合は全訳に近いことをしている。 *『マルクス思想叢書』(新潮社、高畠素之編輯)
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[[File:Ad of translated Karl Marx works (Japan).jpg|thumb|360px|大鐙閣『マルクス全集』の1920年の官報公告。]]
*『資本論』
*#[[大鐙閣]]︵第1巻、第2巻、第3巻。1920年~1922年︶ - ﹃[[s:Portal:マルクス全集︵1922年︶|マルクス全集]]﹄に収録。第1巻︵3冊︶、第2巻 *#[[而立社]](第二巻(2冊、全集の第七巻):1923年~1924年) -
*#[[新潮社]](1925年~1926年) - 大鐙閣・而立社の全面改訂版。大幅に訳文が変った。
*#[[改造社]]︵1927年~1928年︶ - 高畠素之翻訳﹃資本論﹄の決定版。戦前の定本でもあった。当初改造社の﹃マルクス。エンゲルス全集﹄の一部として企画が進行していたが、他社より廉価版の﹁資本論﹂の訳書が刊行される事になったため独立したものとして刊行された。全集の中には組み入れられなかったが、 *﹃社會主義社會學﹄︵三田書房、1920年︶ - [[アーサー・M・ルイス]]︵Arthur Morrow Lewis︶の﹃社会学への手引き﹄の訳述<ref>[https://en.wikisource.org/wiki/Author:Arthur_Morrow_Lewis アーサー・M・ルイス] - ウィキソース英語版。</ref>。大鐙閣︵1921年︶で同じものが出版され、﹃社会学講話﹄と改題してアテネ書院︵1925年︶から再版、最終的に改造社︵昭和二年︶からも出版された。 *『財産進化論』(大鐙閣、1921年) - [[ポール・ラファルグ]]の著書の翻訳。『財産の進化』と改題して新潮社(1925年)からも『新学説大系』の一冊として出た。
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*『唯物史觀の改造』(新潮社、1924年) - [[ツガン・バラノヴスキイ]](Tugan-Baranovsky)の著書『マルキシズムの学説的基礎』(部分)を訳述したもの。
*『社會學思想の人生的價値』(新潮社、1925年) - [[アルビオン・スモール]]の著書の訳述。『新学説大系』の一つ。
*『マルクスの余剰價値説』(実業之日本社、1925年) - 主として『資本論』中の剰余価値学説に関係する部分を抜粋し、他の学者の説を並置解説したもの。書名の余剰は高畠の訳語で他の訳者は剰余と
*『哲學の窮乏』(新潮社、1927年) - 『マルクス著作集』の一つ。現在は『哲学の貧困』と訳されているもの。独逸訳(オリジナルは仏蘭西語、カウツキーとベルンシュタインの訳)からの重訳。
==参考文献==
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{{DEFAULTSORT:たかはたけ もとゆき}}
[[Category:19世紀日本の哲学者]]
[[Category:20世紀日本の哲学者]]
[[Category:19世紀日本の著作家]]
[[Category:20世紀日本の著作家]]
[[Category:19世紀日本の翻訳家]]
[[Category:20世紀日本の翻訳家]]
[[Category:19世紀のプロテスタント信者]]
[[Category:20世紀のプロテスタント信者]]
[[Category:日本のマルクス主義者]]
[[Category:日本の思想家]]
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[[Category:日本の国家社会主義者]]
[[Category:日本のプロテスタントの信者]]
[[Category:プロテスタントの棄教者]]
[[Category:群馬県立前橋高等学校出身の人物]]
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[[Category:1928年没]]
[[Category:胃癌で亡くなった人物]]
[[Category:多磨霊園に埋葬されている人物]]
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