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高畠は、明治19年︵1886年︶1月4日、旧前橋藩士の五男として[[群馬県]][[前橋市]]に生れた。幼い頃は寡黙で根気強かったが、癇癪持ちであった。 地元の旧制[[前橋中学]]に入学後、同級生から神童と称される。在学中、前橋に訪れた[[海老名弾正]]や[[木下尚江]]の講演を聴き、キリスト教や社会主義に影響を受ける。 明治39年︵1906年︶、前橋中学校を卒業。経済的な問題から[[同志社]]︵神学部。奨学金が給付されていた︶に入学し、哲学と宗教を学ぶ。高畠の同志社入学時は[[日露戦争]]の直後であった。そのため[[平民社]]系の社会主義運動の影響を受け、[[遠藤友四郎]]︵遠藤無水。後、天皇中心の社会主義を唱える︶、[[伊庭孝]]︵音楽家︶と、同志社内で社会主義を宣伝した。そのため在学一年程度で退学、社会主義者として著明であった堺利彦を頼るも、相手にされず郷里前橋に戻った。なおこのとき堺は、カウツキーの﹃倫理と唯物史観﹄の英訳本を高畠に送り、高畠も批評を返したという逸話がある。 |