「Wikipedia:エチケット」の版間の差分
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▲{{policy|えちけつと|WP:EQ|WP:ETIQ|WP:WQ|WP:WQT|subcategory=行動}}
{{Navibox 合意形成}}
[[Wikipedia:ウィキペディアについて|ウィキペディア]]には様々な国や文化を持つ人が参加しており、それぞれ異なったものの見方や考え方を持っています。お互いに敬意を持って接することで効率的に百科事典を作り上げることができます。
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; 個人攻撃をしない。
: 人の作業結果についてあれこれ批評することは構いませんが、個人攻撃をしたり、人種・性別・主義主張などによる侮辱を行うことは許されません。{{Main|Wikipedia:個人攻撃はしない}}
; 不快な
: 他の利用者を攻撃する結果になるような
== ウィキペディアにおけるエチケットの原則 ==
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: あなたが文句を言わなければ、他の執筆者は書いた記事が"問題がないものと理解するに決まっている"、とは考えないようにしてください。読んだ記事がよいと思えば、そう書き込みましょう。普通、わざわざ[[Help:ノートページ|ノートページ]]を使うのは、その記事に問題があると考えるからで、したがってノートに書き込むことは即否定的なこと、という意味合いができてしまいます。すると、ノートでの過度の論争の発生を招いてしまうことにもなります。動物を調教する際に、良い点をのばすことが重要だということを考えてみてください︵人間も動物です!︶。 ; 完全に自信があるわけではない場合には特に、コメントを質問の形で書くようにしてみてください。
: ﹁ ; 主張を個人的な見解として表現してください。
: あなたの意見を、それがあたかも真実であるかのように普遍的な事実として主張すると、読み手をたきつけてしまうことがあります。その代わりに、それがあなた自身の個人的な見解であるということが分かるように書くと、あなたの意見に同意できない人からもさほど無礼なことだとは思われなくなるでしょう。例えば、﹁でも妊娠中絶は罪のない胎児に対する殺人なんでしょ?﹂と言う代わりに、﹁妊娠中絶は罪のない胎児に対する殺人だと考えているのは私だけではないでしょう﹂と述べる方がよいでしょう。こうすることで、その議題に対するあなたの確固たる意思を強調しつつ、全く同じ意見をよりおだやかに相手に伝えることができます。 32 ⟶ 28行目:
: このルールは[[Wikipedia:中立的な観点|中立的な]]記事を書くためのものです。偏っているときに中立になることは難しいのです。
'''最後に、最終手段として、'''あなたが協力的な精神で呼びかけても功を奏さなかったり、編集者が中立的な文章を個人的な[[イデオロギー]]にもとづいて取り除き続けたときには、状況を改善できる最後の方法が一つあります。放置するという方法です。そのページをブックマークに入れ、1、2週間経ったら戻ってみましょう。イデオローグは、中立的な記事を死守しようとする幅広い合意があまりにも強固でうち負かすことができそうにないときには、あきらめてしまうものです。また、ウィキペディアの中立性の観点は多くのウィキペディアンによって支持され、守られているので、あなた一人で擁護しなくてはならないというものではないのです。一人でそういうふうに試みることは、時には問題を拡大させるだけになることもあります。しかし、それでも問題が解決しなかった場合や、特に犯罪と思われる行為︵個人を特定して個人情報を公開する 以上の提案のほとんどは簡潔に要約できます‥'''[[Wikipedia:礼儀を忘れない|礼儀正しく]]振る舞ってください'''。このことはあなたが思っているより重要な︵そして有益な︶ことです。[[Wikipedia:議論が白熱しても冷静に]]と[[Wikipedia:方針とガイドライン]]も参照してください。 == ノートページの濫用を避けるためには ==
私たちは互いに書いたものを編集し合っていて、政治的なまた煽動的な話題に取り組むときには、いや応なく個人的な偏見が編集に反映されます。政治的な意見の不一致が、個人への侮辱や、私たちの知性・品位・大切な価値観・誠実さに対する攻撃として解釈されることが頻繁にあります。自我が傷付けられ、それに伴う攻撃や防御が当然とられます。[[Help:ノートページ|ノートページ]]とはそういった場所なのです。言葉の上での殴り合いに使われる場所です。
しかし私たちはこのような状況の多くを避けることが''できます''。私たちはいくつかのことを心に留めておかなければなりません:
* 基本的に
* ウィキペディアは議論の場ではありません——議論はウィキペディアの目的ではありません。議論がしたいのなら、[[Usenet]]や公共の[[ブログ]]、そして他の[[ウィキ]]、さらに日本的な文化を持った[[電子掲示板]]など、もっと適当な場所があります。 * 誰かがあなたに反対しても、それは次のようなことを意味するものとは限りません。(1) その人物はあなたを嫌っている、(2) その人物はあなたを馬鹿だと思っている、(3) その人物は馬鹿である、(4) その人物は悪である、など。誰かがあなたに反対したとき、そのことから邪推してしまう真実でない事柄はたくさんあります。そのような文章から何も邪推せず、あなたに反対した人物には彼の意見を持たせたままそっとしておくのが一番です。 * ノートページにコメントを書き込む前に、自分自身に尋ねてみてください:
** それは本当に必要だろうか? どうして自分はただ記事を編集して要約をつけるだけに留めないのか? 自分が何をしたのか、そしてそれはなぜなのかは、明らかではないだろうか?
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: ''ときどき''そういうこともあります——しかし、たいていはそうではありません。[[w:en:talk:abortion]]や[[w:en:talk:cultural imperialism]]、[[w:en:talk:sports utility vehicle]]などのページの議論は、これまで何度も記事の改善に''まったく''役に立たない議論へと迷走しました。とにかく、私たちが言っているのはそういうことです。 ; この議論は的はずれに見えるかもしれませんが、結局はこの話題も記事に役立つものとなるのです。
: 時にはそういうこともありますし、それはそれでいいことです。でも適切な話題を扱って、口論をスキップした方がよくはないですか。さらに経験からいうと、もちろん議論が全然記事に役立たないこともしょっちゅうです。 ; じゃあ、ノートの議論は人々をウィキペディアに夢中にさせるじゃないか。夢中にならない方がいいとでもいうのかい。論争のないウィキはきっと退屈なものだろう。論争が実際に''より多くの''人をウィキペディアに引きつけるかもしれない。 : 論争は多分、ある人々をウィキペディアに引きつけるでしょうね。でもそれは別の多くの人々、そんな論争はまっぴらごめんだという人々をうんざりさせることでもあるのです。ウィキペディアにはそんな論争とは全く別のことで人を俄然熱中させるものがあるのだということも胸にとめておいてください。それだけで私たちを引きつけておくほどエキサイティングなのです。 70 ⟶ 66行目:
== 関連項目 ==
* [[Wikipedia:礼儀を忘れない]]<small>(方針)</small>
* [[Wikipedia:議論が白熱しても冷静に]]<small>(私論)</small>
* [[Wikipedia:善意にとる]]<small>(ガイドライン)</small>
* [[Wikipedia:個人攻撃はしない]]<small>(方針)</small>
* [[Wikipedia:安易に荒らしと呼ばない]]<small>(私論)</small>
{{Wikipediaの方針とガイドライン}}
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