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=== 輸送機設計研究協会発足 ===
[[File:YS-11 Wind tunnel model.jpg|thumb|250px|YS-11の設計のために東京大学航空学科で使用された[[風洞]]模型([[国立科学博物館]]の展示)<ref>{{Cite web |和書|url=http://www.kahaku.go.jp/m/recommend/archive.php?cid=1530&_f_=25&_s_=2525&_c_=252520 |title=YS-11風洞模型 |publisher=国立科学博物館 |date= |accessdate=2013-12-30 |archiveurl=https://archive.is/yFe97 |archivedate=2013-05-01}}</ref>]]
[[1956]]31[[]]<ref>{{Cite web||title= |url=https://www.jsme.or.jp/tld/htdocs.new/events/yakushima/y8-8.html|website=www.jsme.or.jp|accessdate=2020-03-09}}</ref>[[|]][[]]51957328,00013195732120[[]][[]][[]][[]]3,500<ref name="air_liner_club"/>
 
5[[]][[]][[]][[]][[]] [[]][[]][[SUBARU]][[]][[|]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]][[]]<ref name="air_liner_club"/>
 
[[|]][[ ()|]][[]][[|]][[]][[]][[|]][[]][[西]][[|]][[]][[]][[]][[|]][[]][[]][[]][[]][[]]<ref>{{Cite web ||author=K.Takenaka |date= |url=https://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/kouken.html |title=235.  |work= |publisher= |accessdate=2012-10-15}}</ref>[[]]
 
1,200m[[]]500[[]]1,000800[[|km]]-1,600km60[[]]4305寿3-454<ref name="air_liner_club" />
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[[99]][[]]2JA8612[[]][[1964|]][[|]]
 
YS-11[[]][[]]YS-11[[]]使[[]][[]]YS-11<ref name="nakamura"/><ref name="air_liner_club" />
 
[[1965年]](昭和40年)[[3月30日]]に量産1号機(2003)を運輸省航空局に納入、4月からは航空各社への納入が始まった。9月にはFAAの型式証明も取得して、輸出の体制が整った。
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YS-11196540510[[西|]] - [[|]] - [[|]]531[[西]]68[[|]] - [[|]]729920 - 西[[]]西西'''YS1''''''YS'''[[]]便'''O'''
 
[[1969]]4441[[|]] - [[|]]YS-11[[727]][[]]YS-11[[]]調<ref name="air_liner_club" />
 
YS-11-100[[]][[]][[]][[1967]]42YS-11A2050
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930使JA8766JA8768JA8768鹿JA8766&[[|]][[]]YS223YS退YS64YS2[[]]
 
YS-11便[[]]鹿[[2006]]18[[730]]3[[]]200618930鹿YS-11便1[[]][[]][[]]10
 
[[2007年]](平成19年)8月には[[新幹線0系電車]]などと共に[[機械遺産]](13番)に認定された。
<!--* また、有限会社バイク技術研究所によって元日航製のOBが設計した「YS-11」という軽量折り畳み自転車が11月に発売されることも発表された。一旦コメントアウト-->
 
[[]][[]]JA87092084198520074[[]][[2014]]12[[]][[]][[]]<ref name="nhknw141225">{{Cite web||url=http://www9.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2014/12/1225.html|title=YS-11  |publisher=[[|NHK]]ONLINE 9|accessdate=2015-1-13}}</ref><ref name="fnnnw141217">{{Cite web ||url=http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00282924.html |title=YS-11 |publisher=[[|FNN]]NEWS JAPAN |accessdate=2015-1-13 |archivedate=2015-1-13 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20150113144859/http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00282924.html }}</ref><ref name="aviation wire20131218">{{cite news|title=YS-11223 |url=http://www.aviationwire.jp/archives/51899|publisher=[[Aviation Wire]]|date=2013-12-18|accessdate=2013-12-18|newspaper=}}</ref>[[]][[]][[|]]N462AL[[2015]]3<ref>{{Cite web||url=https://archive.is/t5taD|title=YS114|publisher=|date=2015-3-30|accessdate=2015-3-31}}</ref>524[[]]FAA<ref>[http://flyteam.jp/news/article/50307 YS-1152728]</ref>27[[]]<ref>{{Cite web||title=YS-11 27 {{!}} Flight Liner|url=http://flightliner.jp/airport/37411.html|website=flightliner.jp|accessdate=2019-08-15}}</ref>
 
<ref>{{Cite web||title=YS-11 |url=https://www.aviationwire.jp/archives/62107|website=Aviation Wire|accessdate=2019-08-15|language=|publisher=}}</ref>4104[[]]20185111130<ref>{{Cite web||title=11 :  : YOMIURI ONLINE|url=https://archive.li/w2Slo|website=archive.li|date=2018-05-12|accessdate=2019-08-15}}</ref><ref>{{Cite web||title=113  - |url=https://archive.li/4hyTX|website=archive.li|date=2018-05-12|accessdate=2019-08-15}}</ref><ref>{{Cite web||url=https://www.nikkan.co.jp/articles/view/00473003|title=YS11 |accessdate=2019-03-24|publisher=|date=2018-05-11}}</ref><ref>{{Cite news|url = https://www.hokurikushinkansen-navi.jp/pc/news/article.php?id=NEWS0000014655|title = YS11 |publisher = !|date = 2018-05-12|accessdate = 2019-09-11}}</ref>
 
=== その後の国産旅客機プロジェクト ===
{{main|YX|YSX|ボーイング767|ボーイング777|C-1 (輸送機)}}
{{要出典範囲|実質的にYS-11プロジェクトの後継となる|date=2023-04}}国産旅客機としては、2014年にロールアウトした[[三菱航空機]]の「'''[[Mitsubishi SpaceJet]]'''」(三菱スペースジェット、旧称:MRJ)が挙げられる。YS-11に対しては正式に発注せずに終わった日本航空(JAL)も32機のSpaceJetを確定発注していた。
[[1960年代]]頃、官民共同事業体である[[日本航空機製造]]はYS-11開発の実績を基に[[防衛庁]]向け[[C-1 (輸送機)|'''戦術輸送機C-X''']]の計画を進めていたが、国会で上記の赤字問題や民間機開発事業による[[軍用機]]の開発が指摘された為、「C-X」は[[川崎重工業]]による開発に変更され[[1970年]](昭和45年)に「[[C-1 (輸送機)|C-1]]」が初飛行した。
 
事業を移管された民間事業体の[[日本航空機製造|日本民間輸送機開発協会]]では'''新型機「[[YX]]」'''開発計画が進められたが、その開発費は1000億円規模と見られ、とても日本一国では負担に耐えられないとして国際共同開発の可能性を視野に入れていた。
[[2015年]](平成27年)[[11月11日]]には、かつて53年前にYSが初飛行を行ったのと同じ名古屋飛行場においてMRJ(当時)が初飛行に成功し、9年ぶりに国産旅客機が日本の空を舞った。
 
世界的にも[[1970年代]]には[[ニクソン・ショック]]や[[オイルショック]]等で開発費の高騰に耐え切れなかった欧米の中小航空機メーカーが次々と淘汰されていき、生き残った欧州企業の共同事業として[[アエロスパシアル|仏]]・[[ダイムラークライスラー・エアロスペース|独]]・[[ホーカー・シドレー|英]]・[[フォッカー|蘭]]・[[コンストルクシオネス・アエロナウティカス S.A.|西]]共同の[[エアバス|'''エアバス・インダストリー''']]社による'''[[A300]]'''の開発が進められていた。
国内外から発注を受けるなど期待を寄せられていたが、計6回に渡る納期延期の末、[[2020年]](令和2年)には事業は事実上の凍結状態に、[[2023年]][[2月7日]]には今後の採算が見込めないことを主な理由として開発中止となった<ref>{{Cite web |title=国産ジェット旅客機「MSJ」の開発中止…三菱重工業、採算見込めず |url=https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230206-OYT1T50153/ |website=読売新聞オンライン |date=2023-02-06 |access-date=2023-02-07 |language=ja}}</ref>。
<!-- ただし、その後[[2020年]](令和2年)よりMitsubishi SpaceJetの事業は事実上の凍結状態となっており、就航の見通しは立っていない。 -->
 
この頃、[[ベトナム戦争]]等で体力を失った'''[[ボーイング]]'''は独自計画の'''「7X7」中型双発旅客機'''の開発計画及び、[[イタリア]]の[[アエリタリア]]との中型機の共同開発計画を一体化し、国際共同開発計画として提案した。当初は政府間協議等で開発割合を高くする事も協議されたが、[[1977年]](昭和52年)に発覚した[[ロッキード事件]]の影響によって最終的な開発割合は米70%・日15%・伊15%とされ、[[1981年]]に'''YX/7X7計画'''は「'''[[ボーイング767]]'''」として結実した。これは日本の技術水準を高めることとなり、ボーイングからも品質の高さを賞賛された。
[[三菱重工業]]は、[[2006年]](平成18年)[[5月31日]]に開催された[[経済産業省]]主催の民間機開発推進関係省庁協議会において、YS-11を業務運用している防衛庁・国土交通省・海上保安庁に対して、開発段階であったMJ(現在のMitsubishi SpaceJet)の採用を要望した。これに対して各省庁は「ニーズが合えば購入する」との認識を示したことから、官公庁ではSpaceJetの開発経過を観察しながら、後継機選定を行うものと思われる。
 
[[1979年]]、YX計画で一旦断念された[[YX#次期旅客機YS-33の研究|YS-33構想]]を基にした'''日本独自の新型機[[YXX]]'''の開発計画に対しても、ボーイングは「[[ボーイング7J7|'''7J7''']]」の共同開発を持ちかけたが、こちらはエンジンの開発困難から実現しなかった。
しかし、ボーイングは新たな'''「7-7」中型旅客機'''計画への参加を打診し、こちらは[[1994年]](平成6年)に「'''[[ボーイング777]]'''」として実現した。
 
[[2001年]](平成13年)、[[C-2 (航空機・日本)|次期輸送機(C-X)]]と[[P-1 (哨戒機)|次期対潜哨戒機(P-X)]]について、再び川崎重工業が担当する事が決定した。
なお、[[日本航空機製造]]は1981年に解散が決議され、[[1982年]](昭和57年)に業務を全て[[三菱]]に引き継いで解散した。
 
{{main|YSX}}
[[1991年]](平成3年)、「YXX」開発計画の次となる「[[ターボファンエンジン]]の双発小型民間機(YSX)開発」が計画された。これは民間主導の補助事業とされ、欧州企業の様々な新航空機の計画とはコンセプトが異なるため共同開発の話は成立せず、「[[ボーイング7J7|'''7J7''']]」を共同開発してきたボーイングに打診した。しかし、この計画は前述の通り中止となり、更に[[1996年]]に[[マクドネル・ダグラス]]を吸収合併して、当時開発が進んでいた[[ボーイング717|MD-95]]に注力する事としたため、YSX開発計画は暗礁に乗り上げた。
 
[[2002年]](平成14年)8月末、[[経済産業省|経産省]]は「30席から50席クラスの小型ジェット機」計画(計画名「環境適応型高性能小型航空機」)を発表したために実質的にYSX計画は終了し、三菱がこの計画に応募した。
 
[[]][[2006]]18[[531]][[]]YS-11[[]]MJMRJ[[Mitsubishi SpaceJetSpaceJet]]SpaceJet
 
その後MRJとして[[2014年]](平成26年)にロールアウトされ、[[2015年]](平成27年)[[11月11日]]には、かつて53年前にYSが初飛行を行ったのと同じ名古屋飛行場においてMRJ(当時)が初飛行に成功し、9年ぶりに国産旅客機が日本の空を舞った。
 
YS-11に対しては正式に発注せずに終わった日本航空(JAL)も32機の確定発注をしていた。国内外から発注を受けるなど期待を寄せられていた。
 
6Mitsubishi SpaceJet[[2020]]2[[2023]][[27]]<ref>{{Cite web ||title= |url=https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230206-OYT1T50153/ |website= |date=2023-02-06 |access-date=2023-02-07 |language=ja}}</ref>
<!-- ただし、その後[[2020年]](令和2年)よりMitsubishi SpaceJetの事業は事実上の凍結状態となっており、就航の見通しは立っていない。 -->
 
== 機体 ==
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使[[|]]YS-11
 
5020202021使
使
 
=== 頑丈さと過大重量 ===
258 ⟶ 280行目:
 
=== 操縦性 ===
21341
[[操舵]]系統には戦後主流になりつつあった[[油圧]]を使わず、[[操縦桿]]と[[動翼]]を[[ケーブル]]により直接つなげており、[[オートパイロット|自動操縦装置]]もなく(後に一部機体にはオートパイロット装備)、ほとんどを人力で動かしているため、沼口正彦を始め多くのパイロットが「世界最大の[[人力飛行機]]」と評している<ref name="otakuma" />。信頼性確保と軽量化を目的としての人力操舵採用であったが当然の結果として操縦に力を要し、通常は低速になると軽くなる動翼は常に重く<ref name="otakuma" />、特に[[エルロン]]が最も重いという<ref name="otakuma" />。また気流が乱れると[[自衛官]]ですら「腕がパンパンになる」と評するほど悪化し、展示飛行で急旋回する際には「ワイヤーが切れると思うほど」引く必要があるという<ref name="otakuma" />。海上自衛隊ではオートパイロットが装備されていない機体で訓練を行う際、30分ごとに交代するなどの対策を行っていた<ref name="otakuma" />。
 
短距離離着陸(STOL)性能を重視して1200mの滑走路で運用可能となっていた。そのためグライダーに象徴される滑空性能に優れ、フラップ、スラットなどの高揚力装置に優れた後のボーイング727などに降下速度で劣ることとなった。これは巡航高度での飛行を早く離れなければならないこととなり燃費などで東京ー大阪などの幹線航路でハンディとなっていた。旅客数の拡大とともに、より大型のジェット旅客機の幹線航路進出を許すこととなり、YS-11はローカル航路に限定されることとなってしまった。
 
つまりYS-11の2倍ほどの旅客人数を運べるジェット旅客機が、上昇下降という操縦性能において、高揚力装置により経済性に優れることとなりYS-11の国内幹線路線での活躍を阻むこととなってしまった。
 
YS-11の設計人は「主翼前縁は触ってはならない」とした意識でいたため、前縁スラットなどの高揚力装置の採用まで踏み込めていなかった。その意味では「旅客機の経済性」をよく理解できずに「軍用機の感覚であった」と批判されても仕方がない。しかし一部で言われてきた「操縦系統が油圧を採用せずワイヤーのみであった(緊急時用に装備)」など操縦系統装備で劣っていたわけではなかった。
 
これは開発初期の市場調査(MR:日本航空機製造の内部では当時ORと称していた)の失敗であり、結果として技術的に後れを取った形となってしまった。というよりは、やはりダグラス、ボーイングと言った、当時でもグローバル企業のMRを含めた総合的技術力が数段先行していたこととなる。
 
結果として後れを取った性能ではあるが、滑走路が短かった当時のローカル空港の活用を促進するSTOL性能には優れていたといえる。
 
離着陸に関してはパイロットから「上昇もしないんですけど、降りるのも降りてくれない」と評されており<ref name="otakuma" />、主翼が長めであるため滑空性能が強すぎることが指摘されている<ref name="otakuma" />。
 
このように、後にローカル空港の滑走路も延長された時代では特有の問題を抱えていたためることとなりジェット機と比較して、[[管制官]]も降下指示を早めに出したり急かさないなど配慮をしていたという<ref name="otakuma" />。
 
=== 降着装置 ===
YS-11[[240]][[]]<ref name=":0">{{Cite book| |title=YS-11 :  |date=1998.5.21 |year=1998 |publisher= |page=321}}</ref><ref>{{Cite book| |title= |date=2013.7 |year=2013 |publisher= |page=249 |author=}}</ref>240YS-11
 
1/41/4<ref>{{Cite book| |title=  |date=1994.7.2 |year=1994 |publisher= |page=84}}</ref><ref>{{Cite web ||url=https://jtsb.mlit.go.jp/jtsb/aircraft/detail.php?id=258 |title=55-5  |access-date=2023.1.28 |publisher=}}</ref>
 
YS-11<ref name=":0" />
307 ⟶ 339行目:
[[File:NAMC YS-11A, Phuket Air AN0923039.jpg|thumb|250px|プーケット航空のYS-11A-200(2005年)]]
* 生産機体番号 - 2050 - 57、59 - 69、75 - 85、90 - 103、108 - 121、123、126、127、130 - 138、141 - 149、152、154、155、157 - 159、163 - 168、175 - 178
YS-11A95YS-11-100
 
205[[]][[]][[]][[]]FAA[[|II]][[|]][[]][[]]506060cm[[|]]使[[]][[]]調使[[便|]][[]][[]][[]][[]]YS-11
 
205202028[[VASP|]]2112126[[]]2206[[|]]219222212082132921722111西2092145[[]]2072[[]]T-A2064[[]]FC2181
501 ⟶ 533行目:
:: YS-11C2YS()EL24EA[[2006]]RC-135B
; YS-11FC
: FC Flight Checker[[|VHF]][[TACAN]][[]][[]][[]] (APU) <ref>{{Cite web||title= YS-11FC [JASDF] |url=https://www.mod.go.jp/asdf/equipment/shienki_tenkenki/YS-11FC/index.html|website=www.mod.go.jp|accessdate=2019-08-15}}</ref>1YS-11P23[[ |680A]]20213171151退<ref name="mainichi20210317" /><ref name="kyodo20210317" />4姿<ref name="aviation20210318">{{Cite news|url=https://www.aviationwire.jp/archives/222839|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210318041426/https://www.aviationwire.jp/archives/222839|title=YS-11FC |newspaper=Aviation Wire|date=2021-03-18|accessdate=2021-03-18|archivedate=2021-03-18}}</ref>
; YS-11NT
: YS-11CNT Navigation Trainer/[[]]1
564 ⟶ 596行目:
; YS-11T-A
: [[]][[]]調使<ref name="otakuma" /> (APU) 
: P-2J[[PS-1]]P-2J{{|=[[P-3 ()|P-3C]]T-A|date=20212}}201123531<ref>{{Cite web||title=2011715(4)|url=http://www.boueinews.com/news/2011/20110715_4.html|website=www.boueinews.com|accessdate=2019-08-15}}</ref>61205
 
{| border="1" class="wikitable" style="background:#ffffff"
599 ⟶ 631行目:
=== 海上保安庁 ===
[[Image:JCG YS-11 Ojiro.jpg|thumb|250px|おじろ2号]]
[[]][[1965]]40[[]]700[[]]2.5<ref name="mayama"/>YS-11A[[]]800mm2[[]]815L31,300km2LA701[[]]
 
[[1969]]44320LA70115<ref name="mayama"/>[[1971]]4611LA7022[[]][[1977]]57[[|]]354[[1991]]35LA701[[1995]]75[[2000]]12JAPAN COAST GUARD[[]]
605 ⟶ 637行目:
YS-11A[[]][[]][[ ()|]]C[[]][[1990]]2[[]]22<ref name="mayama"/>
 
[[2009]]212091224223,000<ref>{{Cite news |author= |url=http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100529mog00m040013000c.html |title=11 退 |newspaper=jp |publisher= |date=2010529 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100601021722/http://mainichi.jp/select/wadai/news/20100529mog00m040013000c.html |archivedate=201061}}</ref>201123113<ref>{{Cite news|title=11 |date=2011-01-13|newspaper=|url=https://www.jiji.com/jc/d4?p=cys110&d=d4_mili|accessdate=2019-08-16}}</ref>退<ref name=""/>[[2006]]18[[11]][[|]][[ DHC-8|DHC-8 Q300]]32009212011231YS-11退<ref>{{Cite web||title=YS111退 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG13046_T10C11A1CC1000/|website= |accessdate=2019-03-24|publisher=|date=2011-01-13}}</ref>
 
{| border="1" class="wikitable" style="background:#ffffff"
626 ⟶ 658行目:
=== 航空局 ===
[[Image:YS-11-JA8709.jpg|thumb|250px|航空局 YS-11(JA8709)]]
[[]][[]][[]]2UHFTACAN2[[]] (APU) <ref name=otakei_2020091304 />8<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=pAeg50w32q8&t=1485s ] </ref>[[|]]2084JA8709[[]][[AFIS]][[]]TCAS[[2006]]18[[1222]]退<ref>{{Cite web||title=  YS-11  |url=https://www.aviationwire.jp/archives/121776|website=Aviation Wire|accessdate=2019-03-24|publisher=}}</ref>
 
[[|]][[ CRJ|BD-700]][[ 2000|2000]][[ DHC-8|DHC-8 Q300]]1998退2003JA8610<ref name=otakei_2020091304 />1999[[]]JAL900[[2007]][[]][[]]<ref>[http://www.jsme.or.jp/kikaiisan/data/no_013.html YS11] - 201659</ref>[[2008]][[4]][[]][[]]<ref>[http://www.aero.or.jp/isan/heritage/aviation-heritage-YS-11.htm  YS-11JA8610] - 201659</ref>20201西<ref>{{Cite web||title=YS-11西|url=https://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1229271.html|website= Watch|date=2020-01-15|accessdate=2020-08-21|language=ja|last=}}</ref>
 
上述の通り、[[エアロラボインターナショナル]]が2014年12月に航空局から機体を落札し、レストアを実施して再飛行を目指している。<br />
697 ⟶ 729行目:
|2041||日本||全日本空輸||[[1975年]]<br/>[[5月28日]]||[[大阪国際空港|伊丹空港]]で胴体着陸||修復して復帰
|-
|2043||[[大韓民国|韓国]]||[[大韓航空]]||[[1969年]]<br/>[[12月11日]]||[[ハイジャック]]され[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]の[[元山咸興|元山]](ウォンサハムフン)付近のソンドク[[宣徳飛行場|宣徳空港]]へ着陸<br/>/([[大韓航空機YS-11ハイジャック事件]])||以降の機体消息は不明
|-
|2054||[[ブラジル]]||[[ヴァリグ・ブラジル航空]]||[[1977年]]<br/>[[5月17日]]||ブラジル・[[サンタカタリナ州]]・ジョインビル空港でオーバーラン||修復して復帰
747 ⟶ 779行目:
 
== 静態保存機 ==
退YS-11[[]]
[[]]JA8809
[[|1988110]][[|]]JA8662[[]][[|]]9沿使
 
また、日本国外でも民間旅客会社や政府機関で運用されていた機体が展示されていることがある。
771 ⟶ 807行目:
** [[美保飛行場|航空自衛隊美保基地]](展示開始 2018年)
* 量産初号機
** [[国立科学博物館]](展示は[[ザ・ヒロサワ・シティ]](展示開始 2022年1月予定) <ref group="注釈">2020年3月までは羽田空港で保管されていたが、一般公開が限られることから、公開の在り方について検討を重ね、無償貸与という形でザ・ヒロサワ・シティにて展示されることとなった</ref><ref>{{Cite web |和書|author= 読売新聞オンライン|date= 2020-01-14|url= https://www.yomiuri.co.jp/local/ibaraki/news/20200113-OYTNT50127/|title= 「YS11」1号機筑西に 今秋公開|accessdate=2020-04-14}}</ref>)
* 国土交通省 航空局機
** [[調布航空宇宙センター]](展示開始 2012年)(前頭部のみ)
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総生産数は決して多くはないが、日本の[[高度経済成長]]期を象徴する存在の一つとしてのノスタルジーや、武骨な構造・独特のエンジン音などを持つ個性的な機体として、日本には多くのファンがいる。
 
日本国内の航空専門誌では「日本の名機」「日本初の名国産機」などとも評しているが、実際にはエンジンをめとして計器類などパーツのほとんどは海外製で、重量過大や操縦性の問題といった未熟さを指摘する意見もある。
 
[[]][[1964]][[0]]YS-11[[]][[]]<ref>0 1999 </ref>
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* [[大韓航空機YS-11ハイジャック事件]]
* [[プロジェクトX〜挑戦者たち〜]] - YS-11開発が前後編の2回に分けて放送され、その次の回は前述の海保YS-11による[[コンスタンティン・スコロプイシュヌイ|サハリンからの全身火傷患者]]の搬送の話であった
*[[黒い霧事件 (政界)]]
**[[上林山栄吉]]
 
== 外部リンク ==
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[[Category:経済産業省]]
[[Category:運輸省]]
[[Category:航空自衛隊の装備品航空機]]
[[Category:海上自衛隊の装備品航空機]]