十夜会
(お十夜から転送)
歴史
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十夜会の根拠は、﹃無量寿経﹄の﹁ここにおいて善を修すること、十日十夜すれば、他方諸仏の国土において、善を為すこと千歳するに勝れたり︵十日十夜の念仏は、仏の国で千年間の修行をすることにも勝る︶﹂という記述にあるとされている[1][3]。
一般に、行事としての十夜会は室町幕府政所執事をつとめた伊勢貞国がはじめたといわれている[1][2]。﹃真如堂縁起﹄によれば、貞国は京都の真如堂で三日三夜の参篭をおこない、出家しようとしたが、最終日に僧の夢告をうけ、出家を思いとどまった。その後、兄の貞経が失脚し、貞国が家督を引き継ぐと伊勢家は繁栄した。霊夢のことを聞いた足利義教は貞国に命じ、三日三夜に続いて七日七夜の念仏をおこなわせたという[1]。しかし、﹃真如堂縁起﹄の成立当初に﹁貞国が七日七夜の念仏をおこなった﹂という記述があった可能性は低く、十夜会が行事として浸透したのちにつけくわえられたものである可能性が示唆されている[3]。また、異説として、﹃伊勢系図﹄には、十夜会をはじめたのが貞経であるとする写本がある[3]。
浄土宗の寺院が十夜会をおこなうようになった契機は、1495年︵明応4年︶、鎌倉・光明寺の9世・観誉祐崇が宮中で阿弥陀経の講義をおこなったことであるという。後土御門天皇に招かれた観誉祐崇は、真如堂の僧侶とともに引声念仏[4]をおこない、光明寺でも十夜会をおこなう勅許を得た[1][3]。1578年︵天正6年︶の﹃天正本狂言﹄には﹁十夜帰り﹂という演目があり、すくなくとも天正年間の京都では十夜会が一般行事となっていたことがわかる[3]。
出典
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(一)^ abcdef“十夜会”. WEB版新纂浄土宗大辞典. 2023年2月28日閲覧。
(二)^ ab第2版,世界大百科事典内言及, 日本大百科全書(ニッポニカ),デジタル大辞泉,精選版 日本国語大辞典,百科事典マイペディア,世界大百科事典. “十夜(じゅうや)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2023年2月28日閲覧。
(三)^ abcde福持昌之﹁真如堂における十夜法要と双盤念仏―僧侶の念仏から世俗の鉦講へ―﹂﹃宗教と社会﹄第21巻、﹁宗教と社会﹂学会、2015年6月、49-63頁、CRID 1390282763013420800、doi:10.20594/religionandsociety.21.0_49、ISSN 13424726。
(四)^ “引声念仏”. WEB版新纂浄土宗大辞典. 2023年3月1日閲覧。