げーむじん
雑誌の沿革
編集げーむじん・げーむじんPARTNER
編集
1998年2月3日、偶数月3日発売の隔月刊のゲーム雑誌として﹃げーむじん﹄が創刊される。本体価格552円︵税込価格580円︶。
1999年7月3日からは﹃げーむじんPARTNER﹄と改題の上、本体価格1,143円︵税込価格1,200円︶に価格改定、誌面刷新を図って、毎年1・4・7・10月3日発売の季刊誌に移行した。しかし、2001年4月頃のティーツー出版の民事再生法の適用申請に伴い、2001年7月3日発売の﹃げーむじんPARTNER 2001 SUMMER Vol.17﹄︵2001年夏号︶を最後に休刊に至った。全17号。
﹃げーむじん﹄及び﹃げーむじんPARTNER﹄の編集長は2001年3月まで木村晃が務め、2001年4月からは編集部長に就任。2001年4月からは﹁O塚﹂が編集長を務めた。
誌面構成は、家庭用テレビゲーム機向けの恋愛ゲームなど、いわゆるギャルゲーが中心。改題以降は、さらにその方向に特化した誌面構成になり、さながら﹁美少女ゲームグラビア誌﹂だった。漫画家の藤島康介が表紙イラストを描いており、その種のイラストレーターやキャラクターデザイナー、ほかにも声優やメカデザイナーに焦点を絞った連載、特集を組んだりしていた。
創刊時は、新作ゲーム紹介や恋愛ゲーム紹介、ゲーム業界の動向の特集、ゲーム関連のコラムなどの中に混じって、シュールな漫画を描く鬼才漫画家の雑君保プの連載漫画を掲載したり、﹃ゴジラNOW﹄なるゲームとの繋がりが薄いコラムを掲載するなど、つかみ所のない異彩を放つゲーム雑誌だった。
創刊当時からイラストレーターの近藤敏信が連載を持っていたことから、自身が開発の指揮を執った、当時さほど注目されていなかった﹃どきどきポヤッチオ﹄を30ページにわたって大特集。また、表紙イラストに藤島康介を重用していた関係から、改題の上の新創刊号となった1999年7月3日発売の﹃げーむじんPARTNER 1999 SUMMER Vol.09﹄︵1999年夏号︶ではゲーム版﹃逮捕しちゃうぞ﹄の大特集を組んだりと、とんでもない誌面の偏り方を見せた。
また、ほぼ無名のマイナーなギャルゲーに対しても、20ページ以上の誌面を割いて特集を組んだりしており、その種のマニア向けに明確にターゲットを絞った雑誌といえる。
編集長を務めた木村晃は、株式会社講談社にて﹃コミックモーニング﹄︵現在の﹃モーニング﹄︶の編集担当として、1980年代の江川達也︵﹃BE FREE!﹄連載当時︶を担当した人物である。その当時の江川のチーフアシスタントが藤島康介であり、﹃げーむじん﹄にはそういった人脈が活かされたことが窺える。木村はその後、勁文社︵ケイブンシャ︶の特撮怪獣専門誌﹃ゴジラマガジン﹄の担当編集などを経て、ティーツー出版に移籍。﹃げーむじん﹄を創刊させた。
﹃げーむじんPARTNER﹄の休刊後、編集スタッフはエンターブレインに移り、ほぼ内容も同じ季刊ゲーム雑誌﹃PALETTA -THE VISUAL EXPRESS-﹄を創刊した。
PALETTA -THE VISUAL EXPRESS-
編集エンターブレインが発行。毎年1・4・7・10月18日発売の季刊誌。2001年10月18日に『THE VISUAL EXPRESS 2001 AUTUMN vol.1』(2001年秋号)を創刊した。2004年1月19日発売の『PALETTA THE VISUAL EXPRESS 2004 WINTER Vol.10』(2004年冬号)を最後に休刊に至った。全10号。
創刊号の2001年秋号の表紙イラストには藤島康介が起用され、そういった面からも、『げーむじんPARTNER』の事実上の後継雑誌であることをアピールしていた。ただし、Vol.2以降は違うイラストレーターが起用された。
掲載漫画
編集- ツボゲーグルメツアー(雑君保プ。1998年2月号~1998年12月号)
- わらびー(あずまきよひこ。1998年12月号~2000年夏号)
関連項目
編集外部リンク
編集- ティーツー出版 げーむじんPARTNET on the WEB!(現在閉鎖。Web Archive)
- 人気キャラクターのグラフィカルマガジン『PALETTA -THE VISUAL EXPRESS-』発刊のお知らせ(2001年10月15日にエンターブレインが発表したニュースリリース)