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イコトイ
江戸時代中期のアイヌの首長
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イコトイ
(乙箇吐壹)は江戸時代中期の
アイヌ
の首長。アッケシ(
厚岸
)の乙名。
「イコトイ」(
蠣崎波響
「
夷酋列像
」より)
目次
1
事績
2
脚注
2.1
注釈
2.2
出典
3
参考文献
事績
編集
天
明
5
年
︵
1
7
8
5
年
︶
最
上
徳
内
は
師
の
本
多
利
明
に
代
わ
っ
て
幕
府
の
蝦
夷
地
探
検
隊
に
参
加
し
、
山
口
鉄
五
郎
隊
に
人
夫
と
し
て
加
わ
っ
た
。
徳
内
は
、
青
島
俊
蔵
ら
と
と
も
に
釧
路
か
ら
厚
岸
、
根
室
ま
で
探
索
、
東
蝦
夷
地
の
地
理
や
ア
イ
ヌ
の
生
活
・
風
俗
な
ど
を
調
査
し
、
さ
ら
に
千
島
列
島
を
探
検
し
た
が
、
徳
内
ら
を
案
内
し
て
国
後
島
に
渡
っ
た
の
が
イ
コ
ト
イ
で
あ
っ
た
[
1
]
。
徳
内
は
そ
こ
で
引
き
返
し
、
松
前
で
越
冬
し
た
が
、
翌
天
明
6
年
︵
1
7
8
6
年
︶
に
は
単
身
で
再
び
国
後
島
へ
渡
り
、
イ
コ
ト
イ
ら
と
と
も
に
択
捉
島
、
得
撫
島
に
も
渡
っ
た
[
1
]
。
松
前
藩
の
家
老
で
、
画
家
と
し
て
も
知
ら
れ
る
蠣
崎
波
響
が
連
作
肖
像
画
﹁
夷
酋
列
像
﹂
12
名
中
の
1
人
に
描
い
た
[
注
釈
1
]
。
脚注
編集
[
脚注の使い方
]
注釈
編集
^
イコトイの母、チキリアシカイも「夷酋列像」に描かれている。
出典
編集
^
a
b
賀川(1992)pp.115-120
参考文献
編集
賀川隆行
『日本の歴史11 崩れゆく鎖国』
集英社
、1992年7月。
ISBN
4-08-195014-8
。