イラン・ジャパン石油化学

イラン・ジャパン石油化学(Iran-Japan petrochemical)は、1970年代から1980年代にかけてイランと日本企業の合弁で設立された企業、および同企業が建設していた石油化学コンビナート。略称IJPCイラン国内で石油化学コンビナートを建設、運営するプロジェクトを担ったが、最終的に海外情勢やイランの国内情勢などに翻弄され、成果を出せぬまま撤退を余儀なくされた。

概要

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4196811使

19714使10調197112ICDC19734ICDCNPCIJPC

42700740019755500

19763[1]

1979[2]198085%[3]1980

19891086000[4]

脚注

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  1. ^ イランのコンビナート建設 協力で歩み寄り 川本・アンサリ会談『朝日新聞』1976年1月6日夕刊、3版、2面
  2. ^ 国家事業へ イラン石油化学コンビナート 格上げへの疑問を追う『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月26日夕刊、2版 3面
  3. ^ (63)IJPC清算(1990年) イラン革命・戦争が翻弄 カントリーリスク、教訓に”. 日本経済新聞 (2013年7月28日). 2021年2月2日閲覧。
  4. ^ ニュースなこの日 1989年10月8日 三井物産、イラン石油化学事業の清算発表”. 日本経済新聞 (2020年10月7日). 2021年2月2日閲覧。

関係項目

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