サバニ
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歴史
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「サバニ・ピース・コネクション」は終戦被爆50年を祈念して、地上戦で多くの島民を失った沖縄と人類史上はじめて核兵器の被害を被った広島・長崎を平和で結ぼうと行われた平和ムーブメントである。1995年5月19日、杉材製で最大12人乗りのサバニ「うるま号」は沖縄最西南端の与那国島を出発し、西表島 - 石垣島 - 多良間島 - 伊良部島 - 宮古島 - 久米島 - 渡名喜島 - 座間味島 - 渡嘉敷島 - 沖縄本島 - 与論島 - 沖永良部島 - 徳之島 - 加計呂麻島 - 奄美大島 - 喜界島 - 宝島 - 小宝島 - 悪石島 - 諏訪之瀬島 - 中之島 - 口之島 - 屋久島 - 硫黄島と25の島々をつむいで、のべ500人以上のこぎ手が2ヶ月かけて2000キロあまりを漕ぎ渡り、同年7月19日に鹿児島県の山川港に入港。その後、鹿屋、水俣、大阪、神戸を経て8月6日には広島市長に、8月9日には長崎市長に、島々からの平和のメッセージを届けた。翌年1996年には沖縄本島を一周し国連に平和のメッセージを届けたほか、平和ムーブメントとして2014年まで幾多の航海を行っている。
「サバニ・ピース・コネクション」は寄港地各地で盛大に迎えられたほか、NHK制作のドキュメンタリー番組「素晴らしき地球の旅 黒潮二千キロ 喜納昌吉の沖縄・広島」が放映され、また1996年には朝日新聞の「海への功労賞」を受賞するなど反響を呼び起こし、伝統的なサバニの、手漕ぎによる外洋航行能力を人々に知らしめた。
提唱者の喜納昌吉はサバニでの航海を選んだ理由について、ローリングしやすい船体の構造を生かして船体を傾けて海をのぞき込みながら行う伝統的なサバニの漁法などを含めて、沖縄のサバニ文化が衰退し失われてゆくのを座視できなかったからとしている。[3]
その後
編集脚注
編集- ^ “サバニ帆漕レース・ルールブックver2.1”. サバニ帆漕レース事項委員会. 2017年8月27日閲覧。
- ^ a b 「舟は行く 海人の知恵のせて」『日本経済新聞』朝刊2017年8月20日(NIKKEI The STYLE)
- ^ ウルマ文化協会刊「平和の巡礼サバニ」1996年
- ^ “60年ぶりに伝統帆船復活 名護湾に浮かぶ”. 琉球新報. (2017年4月2日). オリジナルの2017年4月2日時点におけるアーカイブ。 2017年4月3日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- サバニ帆漕レース
- ー伝統の競漕ー南城市長杯帆掛サバニレース[リンク切れ]2007年よりあざまサンサンビーチ(南城市知念字安座真)、2010年より奥武島にて毎年9月に開催。