ティベリーナ島
ファーテベネフラテッリ病院
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16世紀の中ごろにサン・ジョヴァンニ・カリビータ・ファーテベネフラテッリ病院(Ospedale San Giovanni Calibita Fatebenefratelli)が建てられ、その病院は現存する。
サン・バルトロメオ・アリソーラ教会
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伝説
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島の起源について次のような伝説がある[2]。かつてローマは王政であったが、最後の王タルクィニウス・スペルブスは市民に追放されることとなった。市民らは王の持ち物であった穀物など忌まわしい、口にもしたくないとしすべてテヴェレ川に投棄した。水位の低い時期に、刈り入れ待ちのものすら含めて捨てたものだから、それらが他のゴミとともに堆積し島となった。これをベースとして市民が整備した結果、様々な建物が立ち並ぶ現在のような姿となった、というものである。
アクセス
編集テヴェレ川右岸のトラステヴェレからはケスティウス橋を渡ってすぐ。また、テヴェレ川左岸のカンプス・マルティウスからはファブリキウス橋を渡ってすぐ。
脚注
編集- ^ S. Prete, "Reliquie e culto di S. Bartolomeo ap. dal Medio Oriente a Roma all'Isola Tiberina", Studi e Ricerche sull'Oriente Cristiano, Rome 5.3 (1982:173-181)
- ^ パラーディオ,アンドレア; ハート,ヴォーン; ヒックス,ピーター 著、桑木野幸司 訳『パラーディオのローマ : 古代遺跡・教会案内』白水社、2011年、71-72頁 。