トン・タット・クアン
トン・タット・クアン | |
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各種表記 | |
漢字・チュノム: | 尊室廣 |
北部発音: | トン・タット・クアン |
日本語読み: | そん しつこう |
生涯
編集
若い頃からアンナン駐留長官の秘書を受け持っていた。啓定元年︵1916年︶に工部侍郎に就任し、啓定3年︵1918年︶にはクアンナム省の布政使に昇進した。啓定8年正月︵1923年2月︶にはハティン省の布政使に転任した[注1]。保大元年︵1926年︶にはビントゥアン省の巡撫[注2]に、保大4年︵1929年︶にはトゥアティエン府府尹に昇進した。同年末にはタイ・ヴァン・トアンに替わってタインホア総督に就任した。保大8年閏5月30日︵1933年7月22日︶、タイ・ヴァン・トアンに替わって、礼儀部及び工作部尚書に充てがわれ、機密院大臣に就任し[1]、後に協弁大学士に任じられた。保大17年3月28日︵1942年5月12日︶に退官し、加えてアン・ラン・ナム︵ベトナム語‥An Lãng Nam / 安浪男︶に封じられ、タインホア総督であるグエン・フック・ウン・イーから礼儀部及び工作部尚書の職を引き継いだ[2][3]。
ベトナム国の後期においては、尊人府大臣を兼ねて代行するとともに、グエン朝旧皇室の族長も務めた。
子女
編集子のトン・タット・ティエンはベトナム共和国政府の情報部長(大臣・閣僚)を務めた。