ブラックヒルズ
ブラックヒルズ (Black Hills) とは、アメリカ、サウスダコタ州とワイオミング州の州境に存在する山地。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/01/Black_Elk_Wilderness_South_Dakota_5.jpg/250px-Black_Elk_Wilderness_South_Dakota_5.jpg)
その歴史
編集金鉱の発見
編集ララミー条約裁判
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1868年の第二次ララミー砦条約で、白人側は、ブラック・ヒルズ一帯は﹁永遠にスー族のものであり、狩りの場であり、白人の立ち入りは禁止される﹂という文言を基にこれをスー族と確約した。
ところが金鉱が見つかると、アメリカ政府は1876年にこの条約を反故にするブラックヒルズ戦争を行って、1877年にはブラックヒルズを差し押さえた。この間、リトルビッグホーンの戦い(1876年)において、カスター将軍と第7騎兵隊が全滅している。︶
ララミー砦での条約の文言は、﹁ブラックヒルズは、太陽が光り輝き、草が生える間は、スー族のものである﹂という、あいまいで抽象的な表現で書かれており、さらに﹁インディアンがそれを返したくなるまでは﹂と付け加えられている。
アメリカ政府は、この文言を都合よく捻じ曲げて解釈した。一帯は豪雪地帯であり、冬ともなれば空は曇天におおわれ﹁太陽は光り輝かず﹂、大地は深雪に覆われて﹁草は生えなくなる﹂と言えなくもないのである。このとんち問答のようなあいまいな文言を巡り、スー族と連邦政府は、半世紀を超える法廷闘争を続けている。
20世紀スー族の長老マシュー・キングは、パハ・サパについてこうコメントしている。
﹁白人どもはわしらを馬鹿扱いしているからな。 誰かがあんたの家を盗みにやって来て、あんたを蹴り出し、またやって来てこう言ったと思いなさい。﹃おお、すまんすまん、こりゃ悪かった、ほれ、お前の家の代わりに50セントやろう!﹄若いの、やつらは全くインディアンを小馬鹿にしとるだろう?﹂
1890年12月29日、騎兵隊がスー族から武器を取り上げようとしていたとき、ウンデット・ニーの虐殺事件発生。
1980年6月30日、米国最高裁判所はララミー砦条約違反を認め、スー族に当時の実勢土地価格1750万ドルと、103年間の利子分1億500万ドルの支払いを連邦側に求めた。連邦側はこれに応じる姿勢であるが、スー族はこれを断固拒否していて、利子額は累積し続け、莫大な額になっている。
つまり、ブラック・ヒルズは最高裁も認めた白人による不法占拠地である。
地下資源
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この山脈には銀やタングステン、スズ、石炭、石油も開発されており、米国科学アカデミーによって、﹁全米の生贄の地域︵National Sacrifice Area、en:Sacrifice zone︶﹂に指定されている。
5000トンの見積もりのある埋蔵ウラニウムを巡っては、﹁テネシー渓谷開発公社﹂、﹁ユニオン・カーバイド﹂、﹁シェブロン﹂、﹁アナコンダ︵ARCO︶﹂、ブリティッシュ・カナダの﹁リオ・アルゴン﹂、﹁ワイオミング鉱物︵ウェスチングハウス︶﹂、﹁カー・マックギー﹂などの多国籍企業がこれに群がっている。
ユニオン・カーバイドが採掘権を押さえているクレーヴン渓谷にはラコタ・スー族の神聖な岩がある。彼らだけが把握しているウランの量は、少なくとも数千億ドル見積もられ、ブラックヒルズの数十万エーカーを覆っている。
観光地としてのブラック・ヒルズ
編集ラシュモア山やクレイジー・ホース記念碑、ウインドケーブ国立公園などの国立公園があり、観光地としても知られる。