ペルー
- ペルー共和国
- República del Perú(スペイン語)
Piruw Republika(ケチュア語)
Piruw Suyu(アイマラ語) -
(国旗) (国章) - 国の標語:Firme y feliz por la unión
(スペイン語: 団結による安定と幸せ) - 国歌:Himno Nacional del Perú
ペルーの国歌
別名︰¡Somos libres!, seámoslo siempre...
我等は自由に、常にそうあらんことを -
公用語 スペイン語、ケチュア語、アイマラ語 首都 リマ 最大の都市 リマ - 政府
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大統領 ディナ・ボルアルテ 副大統領 (空席) 閣僚評議会議長 グスタボ・アドリアンセン 共和国議会議長 アレハンドロ・ソト・レイズ - 面積
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総計 1,285,220km2(19位) 水面積率 8.80% - 人口
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総計(2020年) 3297万2000[1]人(39位) 人口密度 25.8[1]人/km2 - GDP(自国通貨表示)
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合計(2018年) 7408億1700万[2]ヌエボ・ソル - GDP(MER)
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合計(2018年) 2253億6900万[2]ドル(49位) 1人あたり 7007.275[2]ドル - GDP(PPP)
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合計(2018年) 4249億700万[2]ドル(46位) 1人あたり 1万3211.39[2]ドル
独立 スペインより
1821年7月28日通貨 ヌエボ・ソル(PEN) 時間帯 UTC-5 (DST:なし) ISO 3166-1 PE / PER ccTLD .pe 国際電話番号 51
国名
編集歴史
編集先コロンブス期
編集タワンティン・スウユの繁栄と滅亡
編集スペイン植民地時代
編集ペルー共和国
編集ペルー独立戦争
編集![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d1/Jos%C3%A9_de_San_Mart%C3%ADn_%28retrato%2C_c.1828%29.jpg/170px-Jos%C3%A9_de_San_Mart%C3%ADn_%28retrato%2C_c.1828%29.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7f/La_Independencia_del_Per%C3%BA.jpg/220px-La_Independencia_del_Per%C3%BA.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5f/Portrait_of_Sim%C3%B3n_Bol%C3%ADvar_by_Arturo_Michelena.jpg/170px-Portrait_of_Sim%C3%B3n_Bol%C3%ADvar_by_Arturo_Michelena.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e1/Angamos.jpg/220px-Angamos.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/6c/Batalla_de_Arica.jpg/220px-Batalla_de_Arica.jpg)
太平洋戦争
編集第一次ベラウンデ政権
編集ペルー革命
編集ゲリラ戦争と現代のペルー
編集第二次ベラウンデ政権
編集第一次ガルシア政権
編集フジモリ政権
編集第二次ガルシア政権
編集ウマラ政権
編集2006年の選挙でアラン・ガルシアに敗北したオジャンタ・ウマラが2011年大統領選挙で勝利し左派政権が誕生した。格差の縮小や富の再分配に重点を置いた政策を表明したが、実際には市場寄りの中道左派政策を取った。2012年2月13日にセンデロ・ルミノソの残党リーダーのフロリンド・フロレスを銃撃戦の末、身柄を拘束した。拘束を受けてオジャンタ・ウマラ大統領は、テレビ放送にて「センデロ・ルミノソはもはやペルーにとって脅威ではない。」と演説を行った。
汚職を原因とした政治的混乱
編集政治
編集法律
編集国際関係
編集日本との関係
編集在ペルー日本国大使館
編集駐日ペルー大使館
編集外交
編集ペルーが参画する主な国際間組織など
編集国家安全保障
編集かつて徴兵制が敷かれており、成人男子は2年間の兵役の義務を有していたが、1999年に廃止されて志願兵制を採用している。
1960年代後半からベラスコ将軍の革命政権時代にソ連との友好が図られたため、1980年の民政化後もペルー軍は基本的には東側の装備である。ペルーにおいて軍隊、特に陸軍はメスティーソやチョロといった貧しい階層の出世が可能な唯一の組織であったといっても過言ではなく、サンチェス・セロやベラスコ・アルバラードなど、過去にクーデターで政権を握った軍人にもそういった階層の出身者は多かった。こうしたある意味で民主的な陸軍の伝統がある一方、対照的に海軍はイギリス海軍の影響を受けて貴族的であり、多くの機会において有色人種や身分の低い階層よりも白人が優先されていた。
軍隊は憲法の番人を自認しており、文民政権が違憲的な政策を行った場合にそれをたしなめ、憲法に沿った形で公正な政治を文民に行わせるのが、長らく軍隊の役割であるとされてきた。
陸軍
編集ペルー陸軍は兵員約76,000人(2001年)を擁している。
海軍
編集ペルー海軍は兵員約26,000人(2001年)を擁している。
空軍
編集ペルー空軍は兵員約18,000人(2001年)を擁している。
地方行政区分
編集![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/14/Peru_pol91.jpg/250px-Peru_pol91.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/58/Peru_Blue_Administrative_Map.png/250px-Peru_Blue_Administrative_Map.png)
主要都市
編集地理
編集山
編集ペルーの国土を南北にアンデス山脈が貫いており、アンデス山脈は西部のオクシデンタル山脈、中央部のセントラル山脈、東部のオリエンタル山脈に分かれる。国内最高峰はオクシデンタル山脈のウアスカラン山(6,778m)である。
河川と湖
編集アンデス山脈から多くの川が東西に流れており、西に流れる川はコスタの砂漠を潤す役割を果す。アマゾン川の源流もアンデス山脈のミスミ山にあり、アマゾン川はペルー最大の河川となっている。また、北部を流れるプトゥマヨ川はペルーとコロンビアの国境線を形成している。
ペルーとボリビアの国境地帯のティティカカ湖は両国最大の湖となっている。
経済
編集貿易
編集日本との貿易
編集2021年の日本の輸出額は10億2,500万ドル、日本の輸入額は29億3,300万ドルとなり、日本がペルーから輸入する金額の方が多くなっている。ペルーへの輸出品は自動車、電気製品、タイヤなどである。ペルーからの輸入品は銅、亜鉛、鉄などの鉱物資源、原油、天然ガスなどである[22]。
観光
編集国民
編集人口
編集インカ帝国時代に1,000万人を越えていたと推測されている人口は、植民地時代に急激に減少し、独立直後の1826年に約150万人となっていた。その後1961年の国勢調査で10,420,357人、1972年では13,538,208人、1983年年央推計では約1,871万人となった。
1940年代から始まったシエラからコスタ(特にリマ)への国内移民のため、現在のリマは人口800万人の大都市圏を形成しており、これはペルーの総人口の約30%程である。
人口増加率 : 1.39%
言語
編集公用語はスペイン語(ペルー・スペイン語)、ケチュア語(1975年から)、アイマラ語(1980年から)であり、人口の大部分はスペイン語を話す。セルバのアマゾン低地では、先住民によって独自の言語が話されている。
シエラのインディヘナの多くはケチュア語を話す。アイマラ語話者はティティカカ湖沿岸のプーノ県に特に集中しており、ボリビアのアイマラ語文化圏と文化的に連続している。
宗教
編集国立統計情報機構(INEI)による2007年実施の第11回国勢調査結果では、当時12歳以上の国民の81.3%がローマ・カトリック、12.5%はプロテスタント、3.3%はユダヤ教・末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)・エホバの証人などの他宗教、2.9%は特定宗教なしとなっている。カトリックの数は減少傾向が観察され、同機構による調査数値の推移では、1993年から2007年にかけてのカトリックが89%から81%に減少している。
スペイン人による征服以来ペルーに住む人々はキリスト教を受容していったが、それでもペルー土着の宗教的要素が完全に消え去ったわけではなく、先住民の伝統宗教と独自の融合、背反を重ねて現在[いつ?]に至っている。
婚姻
編集伝統的には、スペイン語圏であるため、婚姻後の女性の姓は、自己の姓に相手の姓をdeを挟んで後置したものであるが、女性の権利を守る立場から近年[いつ?]法律が改定され自己の名前のみを名乗る夫婦別姓や、相手の姓を名乗ることも選択できるようになった。
教育
編集医療
編集保険制度
編集ペルーで提供されている医療保険は、公的保険と民間保険に分けられる。公的保険には学生や妊婦、定職のない貧困者を対象とした統合健康保険(Seguro Integral de Salud : SIS )と、正規雇用者を対象とした社会保険がある。民間保険には民間保険会社が独自で運営するものと民間保険会社と政府が協力して運営するものとがあり、より良い医療サービスを求める富裕層を対象にしている。その他、国軍や国家警察を対象とした医療サービスなどがある。受診できる医療機関は保険の種類に応じて異なる[24]。
統合健康保険(SIS)の課題
編集文化
編集ペルーの文化はインカ帝国や、それ以前から続く前インカ期からのインディヘナの文化と、16世紀にペルーを征服したスペイン人の文化に根を持ち、その上にアフリカ系住民や近代になって移住してきたアジア系、ヨーロッパ系の諸民族の影響も受けている。
食文化
編集文学
編集音楽
編集世界遺産
編集ペルー国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が8件、自然遺産が2件、複合遺産が2件存在する。
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クスコ市街 - (1983年、文化遺産)
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マチュ・ピチュの歴史保護区 - (1983年、複合遺産)
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チャビンの考古遺跡 - (1985年、文化遺産)
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ウアスカラン国立公園 - (1985年、自然遺産)
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チャン・チャン遺跡地帯 - (1986年、文化遺産)
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マヌー国立公園 - (1987年、自然遺産)
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リマ歴史地区 - (1988年、1991年、文化遺産)
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リオ・アビセオ国立公園 - (1990年、複合遺産)
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ナスカとフマナ平原の地上絵 - (1994年、文化遺産)
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アレキパ歴史地区(2000年)
祝祭日
編集日付 | 日本語表記 | スペイン語表記 | 備考 |
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1月1日 | 元日 | Año Nuevo | |
3月 - 4月 | 聖週間 | Semana Santa | 移動祝日 |
5月1日 | メーデー | Día de los Trabajadores | |
6月29日 | 聖ペドロと聖パブロの祝日 | San Pedro y San Pablo | |
7月28日-7月29日 | 独立記念日 | Día de la Independencia del Perú | |
8月30日 | リマの聖ローサの記念日 | Santa Rosa de Lima | |
10月8日 | アンガモス海戦記念日 | Día del Combate de Angamos | |
11月1日 | 諸聖人の日 | Día de Todos Los Santos | |
12月8日 | 無原罪の聖母の祭日 | Día de la Inmaculada Concepción | |
12月25日 | クリスマス | Navidad |
スポーツ
編集サッカー
編集著名な出身者
編集- アルベルト・フジモリ - 第91代ペルー大統領
- ケイコ・フジモリ - 人民勢力党党首
- マリオ・バルガス・リョサ - 小説家(ノーベル文学賞受賞)
- クラウディオ・ピサーロ - 元サッカー選手(UEFA EL得点王)
- パオロ・ゲレーロ - サッカー選手(コパ・アメリカ得点王)
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 政府
- ペルー共和国政府
- Peru in Japan-ペルー大使館 (@PeruInJapan) - X(旧Twitter)
- 日本政府
- 観光
- ペルー観光公式サイト
- ウィキトラベルには、ペルーに関する旅行ガイドがあります。
- 地図 - Google マップ
- その他