マフムード(Maḥmūd、? - 1416年)は、オイラト部の族長。漢字では馬哈木と書かれる。

概要

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1403使153[1]1409

14101412使14131414101415使

1416

モンゴル年代記におけるマフムード

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Batula čingsang



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脚注

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  1. ^ マフムードの死後、オイラトとの交渉を担当していた宦官の海童は永楽帝に対オイラト政策を進言した。今までオイラトが明の意に背く行為を行っていたのはマフムードに因るところが大きく、マフムードが没した今、残るタイピンとバト・ボラトが率いるオイラトは宣撫できるというのが海童の意見であった(『明史』列伝第216 外国9 瓦剌)
  2. ^ 旧ナイマン部族の末裔に当たり、後のドルベト部とジュンガル部の祖先である(岡田 2004,182頁)
  3. ^ 岡田 2010,257-266頁
  4. ^ 和田 1959,238頁

参考文献

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  • 明史』列伝第215 外国8 韃靼
  • 『明史』列伝第216 外国9 瓦剌
  • 『アジア歴史事典』(平凡社、1959年)
  • 岡田英弘訳注『蒙古源流』(刀水書房、2004年)
  • 岡田英弘『モンゴル帝国から大清帝国へ』(藤原書店、2010年)
  • 和田清『東亜史研究(蒙古編)』(東洋文庫、1959年)