ルーベン・マムーリアン
ルーベン・マムーリアン({Rouben Mamoulian [ruːˈbɛn mɑːmuːlˈjɑːn] roo-BEN mah-mool-YAHN、アルメニア語: Ռուբէն Մամուլեան)[1], 1897年10月8日 - 1987年12月4日)は、グルジア(ジョージア)出身のアメリカ合衆国の映画監督。
ルーベン・マムーリアン Rouben Mamoulian | |
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1930年代 | |
本名 | Rouben Zachary Mamoulian |
生年月日 | 1897年10月8日 |
没年月日 | 1987年12月4日(90歳没) |
出生地 | ロシア帝国 トビリシ |
死没地 | アメリカ合衆国 ハリウッド |
配偶者 | Azadia Newman |
略歴
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ロシア帝国時代のグルジア︵ジョージア︶のトビリシでアルメニア系の家庭に生まれ、1922年にロンドンに移り舞台監督となり、すぐにアメリカ合衆国に渡る。ブロードウェイではジョージ・ガーシュウィンの作品や﹃ポーギーとベス﹄、ミュージカル﹃オクラホマ!﹄などを手がける。1929年に初めての映画﹃喝采﹄を制作。フレドリック・マーチがアカデミー賞を受賞した﹃ジキル博士とハイド氏﹄、長編映画として初めて3色式テクニカラーを採用した﹃虚栄の市﹄、グレタ・ガルボ主演の﹃クリスチナ女王﹄、マレーネ・ディートリヒ主演の﹃恋の凱歌﹄、バーバラ・スタンウィック主演の﹃ゴールデン・ボーイ﹄などを監督。
1959年の﹃ポギーとベス﹄の監督であったが、途中で交代させられる。また1963年の﹃クレオパトラ﹄でも途中で交代させられ、以後映画を撮ることはなかった。
主な監督作品
編集- 喝采 Applause (1929)
- 市街 City Streets (1931)
- ジキル博士とハイド氏 Dr. Jekyll and Mr. Hyde (1932)
- 今晩は愛して頂戴ナ Love Me Tonight (1932)
- クリスチナ女王 Queen Christina (1933)
- 恋の凱歌 The Song of Songs (1933)
- 虚栄の市 Becky Sharp (1935)
- たくましき男 High, Wide, and Handsome (1937)
- ゴールデン・ボーイ Golden Boy (1938)
- 快傑ゾロ The Mark of Zorro (1940)
- 血と砂 Blood and Sand (1941)
- サンマー・ホリデイ Summer Holiday (1948)
- 絹の靴下 Silk Stockings (1957)
出典
編集- ^ Charles Earle Funk, What's the Name, Please?, Funk & Wagnalls, 1936.
外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、ルーベン・マムーリアンに関するカテゴリがあります。
- ルーベン・マムーリアン - allcinema
- ルーベン・マムーリアン - KINENOTE
- Rouben Mamoulian - IMDb(英語)