ホーム
おまかせ表示
付近
ログイン
設定
寄付
ウィキペディアについて
免責事項
検索
丁孚
言語
ウォッチリストに追加
編集
丁
孚
︵
て
い
ふ
、
生
没
年
不
詳
︶
は
、
中
国
三
国
時
代
の
呉
の
歴
史
家
。
後
年
に
当
た
る
孫
皓
の
時
代
、
華
覈
が
薛
瑩
の
放
免
を
願
い
出
る
上
疏
[
1
]
の
中
に
そ
の
名
が
見
え
る
。
そ
れ
に
よ
る
と
丁
孚
は
孫
権
の
末
年
、
呉
の
太
史
令
を
務
め
て
い
た
。
郎
中
の
項
峻
と
共
に
﹃
呉
書
﹄
の
編
纂
を
命
じ
ら
れ
た
が
、
両
名
に
は
史
官
と
し
て
の
天
分
は
な
く
、
そ
の
編
纂
し
た
内
容
は
記
し
留
め
る
価
値
も
な
い
も
の
だ
っ
た
と
い
う
。
出典
編集
陳寿
撰、
裴松之
注『三国志』巻53 呉書
薛綜
伝付薛瑩伝
s:zh:三國志/卷53#子_瑩
脚注
編集
[
脚注の使い方
]
^
華覈は薛瑩らと共に呉書の編纂を命じられたが、薛瑩が流罪となり自分だけでは史書の編纂はままならず、これでは項峻・丁孚の二の舞になると訴えた。