12825西

歴史と経緯

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一通目には日興が日蓮の一切の法の継承者であることが記されており、1282年(弘安5年)5月、日蓮が湯治のため身延を出発する直前に身延山中で書かれたと記述されているため身延相承とも、内容から日蓮一期弘法付属書とも総付嘱書とも称される。身延を出発した日蓮は途中池上で病が篤くなり入滅した。その直前に書かれたとされる二通目には日興を身延山久遠寺の住職とすると記しており、池上(池上本門寺)で書かれたため池上相承とも、また身延久遠寺の別当(住職)であるとの記述から身延山付属書とも別付嘱書とも称する。

偽書説

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9139813

27

13083928

1



13505

2




日廣本

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住本寺十代、日廣、重須にて二箇相承全文を書写す。京要法寺に在り。(夏季講習録2)

日廣本は未公開であるため、その内容は確認できないが、後に紹介する日教は、同じ住本寺の出身であるため日教本と同じ内容と考えられている。

日教本(日叶本)

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日教本(日叶本)と呼ばれているものは2種類あり、身延相承と池上相承の中身が入れ替わっている。

百五十箇条

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  • 1480年文明12年)、住本寺の日叶は「百五十箇条」を著し、その中に二箇相承を引用している。

身延相承

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日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、本門弘通の大導師為るべきなり、国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、中ん就く我門弟等此状を守るべきなり
弘安五年壬午九月 日、血脈の次第・日蓮・日興、甲斐国波木井山中に於て之を写す

池上相承

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釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当為るべし、背く在家出家共の輩は非法の衆為るべきなり
弘安五年壬午十月十三日、日蓮御判、武州池上

類聚翰集私

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  • 住本寺の日叶は1482年文明14年)ころ、大石寺に帰伏し名を日教と改めた[注釈 1]1488年長享2年)、日教は「類聚翰集私」を著し、その中に二箇相承を引用している。

身延相承

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釈尊五十年の説教、白蓮日興に之を付属す、身延山久遠寺の別当たるべし、背く在家出家共の輩は非法の衆たるべきなり
弘安五年九月十三日、日蓮在御判、血脈次第日蓮日興、甲斐国波木井郷山中に於いて之を図す

池上相承

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日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付属す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立すべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法とは是なり、中んづく我門弟等此状を守るべきなり、
弘安五年十月十二日、日蓮御判

六人立義破立抄私記

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  • 1489年延徳元年)、日教は「六人立義破立抄私記」を著し、その中に二箇相承を引用している。

身延相承

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釈尊五十余年之説教、白蓮日興に之れを付属す、身延山久遠寺の別当為る可し、背く在家出家共の輩は非法の衆為る可き者也
弘安五年十月十三日、日蓮在御判 血脈の次第日蓮日興 甲斐国波木井郷の山中に於て之れを図す

池上相承

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日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興に之れを付属す、本門弘通之大導師為る可き也、国主此の法を立て被れば富士山に本門寺の戒壇を建立為す可き也、時を待つ可き於耳、事の戒法と謂ふは是れ也、中ん付く我か門弟等此の状を守る可き也
弘安五年九月 日 日蓮在御判

日現本

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1516118

91310137182

232西西9

日辰本(日耀本)

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15562耀[2]耀西 13

141573 - 1586

[3]

二箇相承紛失

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二箇相承書は武田勝頼軍によって奪われたと、保田妙本寺の日我等がその顛末を著している。

  • 1581年天正9年)3月、聖滅300年、武田勝頼の臣重須[注釈 2]を襲い二箇相承等を奪う(要9-17・20)

一方、重須本門寺ではなく、西山本門寺にて紛失したという説もある[注釈 3]

この30年後(1611年慶長16年)12月15日)に、徳川家康が見たとの記録がある。

今晩富士本門寺授割二箇相承後藤庄三郎備御覧[4]

伝後藤庄三郎光次、駿府政事録

[4]

[4][5][4][5]



1617324560

187710613


その他

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7[6][7][8][9][10][5]

脚注

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注釈

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(一)^ [1]

(二)^ 

(三)^ ( 1981, p. 294)西13西

(四)^ 

(五)^ ( 1981, p. 1315)2

出典

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(一)^  1981, p. 92.

(二)^  1981, p. 91.

(三)^  1981, pp. 9091.

(四)^ abc n.d. = 33

(五)^ ab 1915, pp. 165166- = 87-88

(六)^  2006, pp. 78, 12.

(七)^ 750 2002, p. 181-退

(八)^  1999, p. 230-7

(九)^  1978, p. 185.

(十)^  1981, p. 294.

参考文献

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   ISBN 4831310832

4198142884-126ISBN 978-4831301734OCLC 675463354 

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750 ()220021012ISBN 978-4904429778 NCID BA56841964OCLC 675627893https://web.archive.org/web/20041105054029/http://www.geocities.jp/shoshu_newmon/2014125 ISBN

  

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19991219ISBN 978-4904429501 NCID BA39623413OCLC 675616041 

2006811961ISBN 978-4904429563OCLC 675734757 

   1() 1381915doi:10.11501/952842ISBN 9784804617824 NCID BA89337019OCLC 759545847https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952842202188 

 1978710ISBN 978-4490101096 NCID BN00793610OCLC 5182140