五百人評議会(ごひゃくにんひょうぎかい、古希: ἡ βουλή οἱ πεντακόσιοι (hē boulē hoi pentakosioi))とは、古代ギリシアアテナイにおいて、クレイステネスが設けた評議会(βουλή, ブーレー, 政務審議会とも[1])のこと。

概要

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105050012[2]

: βουλή (boulē)[2]

: βουλευτήριον (bouleutērion), [2]

プリュタネイス

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五百人評議会の評議員を構成する各10部族は、1年を10分割した期間(35日または36日)毎に、順番に政務を執行するプリュタネイス: πρυτάνεις (prytaneis), 単数形はπρύτανις (prytanis) プリュタニス, 当番評議員, 執行委員[3], 参政官[4]とも)を担当する。

彼らは専用の会議所・役所であり、迎賓館も兼ねた国家の中心施設であるプリュタネイオン(: πρυτανεῖον (prytaneion))で執務を行い、五百人評議会や民会の招集・議事・採決の世話をしたりもする[5]

脚注

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  1. ^ プラトン全集1, 岩波 p.89
  2. ^ a b c ブーレーとは 日本大百科全書
  3. ^ プラトン全集1, 岩波 p.103
  4. ^ ソクラテスの弁明, 岩波 p.110
  5. ^ プラトン全集1, 岩波 p.91

参考文献

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関連項目

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