井上家

囲碁の家元四家のひとつ

井上家(いのうえけ)は江戸時代本因坊安井家林家に並ぶ囲碁家元であり、名人を2名出している。

井上家
家祖 中村道碩
著名な人物 井上玄覚因碩
井上幻庵因碩
支流、分家 服部家(外家)
凡例 / Category:日本の氏族



[1][2]16121750[3]

17372[4]

1748使[5]

1983

歴代当主

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  1582-1630[6]

  1605-1673

  -1696

  1646-1719

  1672-1735

  1680-1726

  1707-1772

  1728-1784

  1747-1805

  1774-1810

  1784-1829

 1798-1859

 1820-1856

 1831-1891

 1831-1904

 1871-1917

 1890-1961

 -1983

[7][8]


門下など

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[9]

西[10]

十七世襲名裁判

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1961年8月21日に、十六世井上恵下田因碩が死去した際には、跡目の指名はなされていなかった。この時点で井上家にいた専業棋士は、当時碁会所を経営していた津田義孝三段と潮伊一郎四段だけであった。このうち津田が、名門衰亡を惜しむ人々に推され、十七世を襲名しようしたが、それに対し恵下田因碩の未亡人であるミネが反発。ミネが、津田が井上因碩を名乗ることを禁止することを求めて裁判に訴え出ることになった。裁判では、「囲碁家元では、跡目が決められずに家元が死亡した場合、未亡人に跡目を指名する権利があるのか」ということが争点となった。しかるに大阪地方裁判所は、そのような慣習はないという結論を出すに至った。ミネは大阪高等裁判所に控訴したが、判決が揺らぐことはなかった。津田は十七世を襲名し、最終的には六段に昇ったとされる。ただし、日本棋院ウェブサイトなどでは津田の襲名を認めず、一六世恵下田因碩までの記載となっている。

出典

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  1. ^ 林裕『囲碁風雲録(上)』p24
  2. ^ 江戸時代の天才囲碁棋士たちは、なぜ命を賭けて闘ったか”. 本の話. 2023年9月25日閲覧。
  3. ^ 増川 p161
  4. ^ 林裕『囲碁風雲録(上)』p17-18
  5. ^ 田村 p119
  6. ^ 歴代名人と家元四家”. 日本棋院. 2023年9月25日閲覧。
  7. ^ 瀬越憲作『囲碁百年 1』p18
  8. ^ 田村 p284
  9. ^ 水口藤雄、加藤正夫『察元・烈元・因淑 日本囲碁大系(6)』p172
  10. ^ 林裕『囲碁風雲録(上)』p212-216

参考文献

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