伊達隆宗
経歴
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元和8年2月︵1622年︶、父の宣宗がキリシタン同様に藩より邪宗門とされた大眼宗の指導者である厳中捕縛に失敗して改易されて後、寛永6年︵1629年︶に久保田藩に戻って横手西方坂井田の水沢に幽居して寛永9年︵1631年︶に死去するが、この間に生まれたとされる[4]。
父の死後、佐竹南家出身の母は百方奔走した結果、寛永10年︵1633年︶2月26日、佐竹義宣の死去により家督を相続した藩主佐竹義隆の正室が佐竹南家の佐竹義章の娘ということもあってか、寛永21年1月1日︵1644年2月8日︶に家格引渡二番坐、石高560石で秋田伊達家の家名再興が認められる。
宣宗と同じく、藩主の佐竹義隆より偏諱を拝領する。