佐竹義遵
佐竹氏一門の佐竹西家17代当主
経歴
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大館城代佐竹義茂の子として生まれる。1864年︵元治元年︶、父の隠居により家督相続。慶応4年︵1868年︶の戊辰戦争の際、久保田藩が新政府軍につき、列藩同盟側の盛岡藩︵南部家︶に8月に大館城を攻撃され、支えきれずに8月22日城に火を放って退却した︵大館城攻城戦︶。8月28日には佐賀藩からの援軍を受けて反撃し、9月5日に盛岡藩軍が撤退したため大館を奪還した。1868年︵慶応4年、明治元年︶には新政府の命で盛岡藩の盛岡城受け取りを務める。1869年︵明治2年︶久保田羽前取締所権知事を拝命。1874年︵明治7年︶大蔵省に出仕する。1875年︵明治8年︶大蔵省を辞職して大館に帰る。1900年︵明治33年︶戊辰戦争での功績により男爵に叙される。1901年︵明治34年︶死去。享年64。
栄典
編集脚注
編集- ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。
参考文献
編集- 新人物往来社「三百藩家臣人名事典」
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 佐竹家(西家)初代 1900年 - 1901年 |
次代 佐竹正一 |