内田渡船
概要
編集歴史
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●平安時代、三十六歌仙の一人藤原仲文にこう詠まれている。﹁ゆきかよひ定めがたさは旅人の心うるまのわたりなりけり﹂
●承久3年︵1221年︶の承久の乱で朝廷軍の一部が使用したという。
●江戸時代は稲置街道の一部となる。犬山宿と鵜沼宿の間にあることもあり尾張藩の直営の渡船となる。
●1871年︵明治4年︶ - 廃藩置県により尾張藩が消滅。尾張藩直営の内田渡船は廃止となる。
●1873年︵明治6年︶ - 旧内田渡船の渡船関係者による運営が許可され、復活する。
●1879年︵明治12年︶ - 渡船の運航会社として、愛知県丹羽郡稲置村と岐阜県各務郡鵜沼村で渡船社を設立。
●1907年︵明治40年︶頃 - 岡田式渡船装置での運航を開始する。
●1925年︵大正14年︶ - 犬山橋の完成により廃止。
関連項目
編集参考文献
編集- 鵜沼町百年史 (鵜沼町百年史編集委員会 1988年)
- 木曽川の渡し船(中山雅麗[2]・1989年)