勧農城(かんのうじょう)または岩井山城(いわいやまじょう)は、栃木県足利市岩井町の岩井山にあった中世日本の城平山城)。足利市指定史跡[2]

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勧農城
栃木県
遠景(2012年6月)
遠景(2012年6月)
別名 岩井山城、叶城[1]
城郭構造 平山城
築城主 不詳
築城年 1450年[1]
主な城主 長尾氏
廃城年 1590年天正18年)
遺構 曲輪、土塁[1]
指定文化財 市指定史跡[2]
位置 北緯36度19分22秒 東経139度27分36秒 / 北緯36.32278度 東経139.46000度 / 36.32278; 139.46000座標: 北緯36度19分22秒 東経139度27分36秒 / 北緯36.32278度 東経139.46000度 / 36.32278; 139.46000
地図
勧農城の位置(栃木県内)
勧農城

勧農城

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概要

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渡良瀬川沿いの標高54.5メートル、比高20メートル程の三角形状の丘陵地の上に建てられた東西250メートル・南北300メートルほどの城で、最高地に本丸が築かれている。やや下がった南側に二の丸、その南東側には三の丸が築かれていた。ただし、城跡の東側は渡良瀬川の川筋の変化によって削られてしまっている。

勧農城とその周辺部の土層には縄文時代の遺跡である勧農遺跡が存在し、その調査との兼ね合いがあって1996年平成8年)に勧農遺跡の調査が城跡の東側で行われた際に中世期の井戸跡やふいごなどの遺構が確認され、ついで2000年(平成12年)には城跡の調査が行われた。石垣の造成土中の組成や出土したかわらけから、伝承通りの室町時代後期の築城であることがほぼ確認された。

歴史

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脚注

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  1. ^ a b c 児玉ほか 1979 pp.287-289
  2. ^ a b 足利市 (2016年10月5日). “足利市史跡「岩井山城跡(勧農城跡)」”. 足利市役所. 2020年6月29日閲覧。

参考文献

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         1979291-292ISBN 4404010117 

 (9) 1984ISBN 4040010906 

 2 1 ,  1()2003ISBN 490664175X