南紀重国
江戸時代の紀州藩御抱え刀工とその一派
初代 重国
編集二代 重国
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初代重国の実子で金助︵通称は四郎右衛門︶
父の業績を慕ってか、製作刀の銘に﹁文珠﹂の文字を切ったものが多く、特に区別して文殊重国と呼称される。徳川頼宣の相手鍛冶を勤めたと伝えられる。
作刀期は明暦の頃が多いとされる。
四代 重国
編集将軍・徳川吉宗に江戸に召し出され浜御殿で作刀し、その技量の高さを認められ葵一葉紋を茎に刻むことを許される栄誉を受けた。(他に吉宗に葵一葉紋を許された刀工は、一平安代、主水正正清、信国重包のみ)
脚注
編集出典
編集- ^ 刀〈銘於南紀重国造之/〉(国指定文化財等データベース) - 紀州徳川家伝来
- ^ 刀 銘「於南紀重國造之」(文化遺産オンライン) - 和歌山県立博物館所蔵
- ^ 刀 銘於南紀重国造之(和歌山市の文化財)