古代出雲
弥生・古墳時代の出雲の国にあった文化
概要
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姫原西遺跡や西谷墳墓群、荒島古墳群がある出雲平野、安来平野、意宇平野には、強大な国があったと推定できる。また、四隅突出型墳丘墓に代表される独自の文化を生み出した。
出雲西部の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から出土した大量の銅鐸や銅剣がこの地域の盛大さを物語る。豊富な神話、各地からの大量の出土品、古墳の種類の豊富さから、この地域に古くから栄えた大きな勢力があったことは確実であるとされている。その謎を解明するかに見られた﹁荒神谷遺跡﹂や﹁加茂岩倉遺跡﹂からのこの大量の青銅品埋蔵の解釈にはまだ定説がない。
青銅器の原材料にしても、朝鮮半島産であるとするもの、島根半島の西部の銅山の産出であるとするものなど、いずれにしても特定はできておらず、地元の出雲地方ですら統一した見解が出されていない。
鉄器については、山間部で時代の特定できない﹁野だたら﹂の遺跡が数多く見つかっている。特に遺跡が多いのは県境付近であり、たたら製鉄に欠かせない大量の木炭の確保は欠かせなかったものと考えられる。西部地方は後に衰えを見せるが、出雲東部では妻木晩田遺跡や竹ヶ崎遺跡・柳遺跡では大量の鉄器の半製品が発掘されていることから、鉄資源の輸入・鍛冶精錬を司ることで発展し、弥生後期には広く日本海側に展開をしたと考えられている。
古墳時代前期では、全国最大級の方墳である大成古墳・造山一号古墳にその繁栄の後がうかがえる。
各地域との交流
編集方言との関連
編集参考
編集- 吉岡節夫(2014) 『甦る「古代の王朝」 出雲国風土記が語る神話の真実』 BRLM高速学習アカデミー
- 古田武彦(2014) 『古田武彦・古代史コレクション 22 古代の霧の中から 出雲王朝から九州王朝へ』 ミネルヴァ書店
- 森田久喜男(2014) 『古代王権と出雲』 同成社