名和七郎を弑せしめた父の教長が名和三郎によって宝徳4年︵1452年︶5月21日に弑逆されると、教長の長子である桃房丸が僅か8歳にして名和氏第18代当主となり、同時に義興と名乗る。しかし家中の混乱は続いており、近習に取り立てた旅人の奥野太郎左衛門尉によって長禄3年︵1459年︶12月13日、球磨川に浮かぶ舟中にて弑逆される。享年16。
難を逃れた弟の幸松丸︵のちの顕忠︶は一旦相良長続を頼った後に名和氏の家督を継承している。
- 新宇土市史編纂委員会『新宇土市史 資料編第三巻 古代・中世・近世』2004