特徴

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西


啓蒙思想の歴史意識

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退退[1][2]

普遍史

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聖書批判

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メランヒトン
すぐれた聖書研究家であり、聖書年代学者であった。大部分が彼の手になるとされる『カリオン年代記』は、プロテスタント的普遍史であるが、1555年ころからほぼ1世紀の間ヨーロッパで最も広く読まれた歴史書の一つであった

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近代的年代学

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4713[4]

啓蒙主義の歴史記述

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歴史的展開

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ライプニッツ
当時の中国学の第一人者でもあり、未完の中国道徳哲学についての著作がある。彼のモナド論はのちの歴史研究にも影響を与えた

事実の把握、その個別化

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啓蒙主義精神の直接の起源はデカルトの演繹論に求められるが、その歴史研究においてはむしろベーコンロックの帰納主義のほうが決定的であった。歴史事実に基づかない歴史法則を設定することを拒否したその歴史研究は、当然歴史事実それ自体を尊重するものであった。

ベール

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ライプニッツ

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目的論の拒否

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調

ヴォルテール

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西

ヒューム

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ヒューム
啓蒙主義の理性主義へ激しい批判を加えた。後半生は歴史研究へと向かった


構造の把握、同時代への批判

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モンテスキュー

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ルソー

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進歩史観

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コンドルセ

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コンドルセは人間精神の発達を10の段階に分け、啓蒙時代をその9段階目まで実現された時代であると述べた。彼は人間社会の発展を、知識や学問の進化という形で捉えた。

そしてロマン主義へ

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ヘルダー

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ロマン主義の思想家ヘルダーは啓蒙主義の普遍的な人間観を批判し、たとえばエジプト人の歴史はエジプト人自身の特性から考察されるべきだとした。彼によれば、歴史事実は互いに異なる重心を持った球のようなもので、それぞれの地域・民族の歴史は異なった重心を持つ独立の歴史として統一的に把握されなければならないと述べた。

啓蒙主義的歴史研究の限界

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ここでは啓蒙主義の歴史記述の限界について指摘する。

ヨーロッパ中心史観

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中世史の欠如

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啓蒙時代には古代と啓蒙時代の比較が文芸評論を中心にいろいろ論じられたが、ルネサンス以前の中世に対しては否定的で、全くと言っていいほど無視された。また啓蒙思想が問題にした古代とは古代ギリシャ・古代ローマに限られていた。

歴史事実と歴史概念の背理

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参考文献

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  • 岡崎勝世著『キリスト教的世界史から科学的世界史へ』勁草書房、2000年
  • 都城秋穂著『科学革命とは何か』岩波書店、1998年
  • 井上幸治編『世界の名著34 モンテスキュー』中公バックス、1980年
  • エルンスト・カッシーラー著、中野好之訳『啓蒙主義の哲学(上、下)』筑摩学芸文庫、2003年
  • 桑原武夫編『ルソー研究 第二版』岩波書店、1968年

脚注

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(一)^ 

(二)^ 退退

(三)^ 31315

(四)^ 

関連項目

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