喜須来村

日本の愛媛県西宇和郡にあった村

195530西200517[1]
きすきむら
喜須来村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 新設合併
川之石町喜須来村磯津村宮内村保内町
現在の自治体 八幡浜市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 四国地方
都道府県 愛媛県
西宇和郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 日土村八幡浜市川之石町宮内村
喜須来村役場
所在地 愛媛県西宇和郡喜須来村大字須川
座標 北緯33度29分03秒 東経132度24分53秒 / 北緯33.48411度 東経132.41475度 / 33.48411; 132.41475座標: 北緯33度29分03秒 東経132度24分53秒 / 北緯33.48411度 東経132.41475度 / 33.48411; 132.41475
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

地理

編集

西西








社会

編集

地域・集落

編集





43

行政

編集
役場
初期には大字喜木におかれたが、1899年(明治32年)須川に新築移転した。

教育

編集
  • 小学校
1890年(明治23年)4月 熙々小学校、新山小学校を合併し須来尋常小学校を創設、喜須来小学校はこの時を起源としている。当時の児童数140名。村立→保内町立→八幡浜市立となり現在に至る。[2]
所在地:八幡浜市保内町喜木2番耕地224番地
  • 中学校
1947年(昭和22年)4月 学制の改革により村立喜須来中学校として設置。のち1965年(昭和40年)八幡浜市立日土中学校と統合し組合立青石中学校となる。2005年(平成17年)合併により八幡浜市立となる。2017年(平成29年)青石中学校は保内中学校と統合、(新)八幡浜市立保内中学校となる。旧保内町内1中学校となる。
所在地:八幡浜市保内町川之石1番耕地243番地第1

歴史

編集















18725 - 



1889221215 - 西

189023 - 

1890234 

189124 - 

189326 - 195833

189427529 - [3]

190740 - 便

19132 - 

19209 - 

195530331 - 
喜須来村の系譜
(町村制実施以前の村)

喜木  ━━━┓   (明治期)
       ┃   町村制施行時
       ┣━━━ 喜須来村 ━━━━━━━━━━━┓
       ┃                    ┃(昭和30331日)
須川  ━━━┛                    ┣━━ 保内町
                            ┃
                       磯津村  ━━━┫
                     川之石町 ━━━┫
                    宮内村  ━━━┛

(注記)磯津村ほかの合併まで、及び保内町の平成の合併の系譜については、それぞれの町村の記事を参照のこと。

産業

編集

農業

編集

30300

鉱工業

編集

20[4]


交通

編集

喜木川に沿った道が今日の国道197号とほぼ重なる。保内町となってからではあるが八幡浜との間のトンネルが開通し、沿道は急速に発展した。 鉄道は通っていなかった。今日の予讃線海側のルートについて、隣の日土村経由の構想もかつてはあった。

出身有名人

編集

脚注

編集


(一)^ 

(二)^ 沿 https://kisuki-e.esnet.ed.jp/file/30335

(三)^ 192831

(四)^ 

参考文献

編集
  • 『角川日本地名大辞典38愛媛県』

関連項目

編集