大手口
唐津市の地名 繁華街
概要
編集主な施設
編集- 官公庁
- 唐津市役所
- 佐賀地方検察庁唐津支部
- 佐賀地方裁判所唐津支部
- 公的施設
- 唐津市民会館
- 曳山展示場
- 唐津商工会館
- からつ大学交流連携センター
- 金融機関
- 商業
- 唐津中央商店街
- まいづる本店ショッピングプラザ
- 大越ビル
歴史
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藩政時代のこのあたりは八軒町と呼ばれ、大手口広場に相当する範囲は柳堀だった。
1897年︵明治24年︶に当初大手通りを貫く計画だった県道が計画を変更して肥後堀に沿って開通︵現在の国道204号︶。昭和に入る頃には肥後堀は民間払い下げのうえ全て埋め立てられ、1933年︵昭和8年︶に旧まいづる百貨店の前身となる大手百貨店が開業。以降、大手口は唐津の中心地域としての性格を強めていく。
大手百貨店は1957年︵昭和32年︶にまいづる百貨店と名称を変更し、順次建物を増築。1974年︵昭和49年︶に最後の増築が行われ、地上7階地下1階の建物規模となった。1980年︵昭和55年︶には唐津大手口バスセンターが旧まいづる百貨店に隣接して開業。バスセンターはまいづる百貨店の建物と通路を介して連絡し、大手口は商業機能と都市交通機能の拠点としての役割だけでなく、中心市街地のランドマーク的役割を有するまでになった。
しかし大手口の中心的存在となる旧まいづる百貨店は、最も古い部分は1933年の建築であったため建物として老朽化が進行し、十分な営業成績を挙げなくなっていった。また市街地の郊外化とともに大手口そのものの地盤沈下も進み、大手口交差点そばの大越百貨店はテナントビルとなり、1998年︵平成10年︶には同地区にあったダイエー唐津店︵かつてのリーフ大越︶がダイエーの経営悪化に伴い閉店。市民からは食料品の購買機能低下を危惧する声が高まり、その声に応える形でまいづる百貨店はダイエー唐津店跡にまいづる本店ショッピングプラザを2000年︵平成12年︶に開業させ、同時に旧まいづる百貨店を閉店した。閉店後、蛻の殻となった旧百貨店ビルは廃墟状態となり、﹁幽霊ビル﹂などと市民に俗称・揶揄され、周辺の早急な再開発を望む声が上がったが、最終的には10年近くの間、中心市街地に廃墟ビルが放置される事態となった。
2006年に中心市街地活性化法の一部が改正されたことを受け、唐津市街地において商店街の活力を向上させることを主な検討目的として、唐津市まちなか再生推進グループが結成。旧百貨店ビルとバスターミナルを中心とした再開発が提案された。2007年︵平成19年︶には地権者による再開発の検討が始まり、翌年には大手口開発株式会社が発足。唐津市にも市街地再生推進本部が設置され、市街地再生を全庁横断的な課題として実践にあたる体制が整えられた。
2010年︵平成22年︶に旧百貨店ビルとバスターミナルの解体が始まり、同年9月に解体を終える。2011年6月に再開発ビルが開業する予定である。
交通
編集- 鉄道
- 道路
- バス