大村皓一
経歴
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●1938年、上海に生まれる。
●1948年、佐世保市に帰国。
●1960年、大阪大学工学部卒業。
●1960~82年、大阪大学においてコンピュータやCGに取り組む。
●1968年、同・大学院博士課程修了(工学博士)。
●1973年、同・工学部電子工学科助教授となる。
●1982年、CGシステム﹁LINKS-1﹂を試作・発表[2]。
●1983年、全編フルCG映画﹃ゴルゴ13﹄の制作総指揮。
●1985年、筑波EXPO'85・富士通パビリオンで全天周立体映像﹃ユニバース﹄のCGテクニカルディレクターを務める。
●1982年から劇場版アニメ映画﹁ゴルゴ13﹂のCG部分を制作する[3]。
●1988年、大阪学院大学国際学部教授に就任。テレビ大阪をキー局とするTX系列︵5局ネット︶TV番組﹃Qット!サイエンス﹄にキャスターとして出演。
●1991年から人体を研究し、その人の持つ技術を後世、或いは他者に残すための研究﹁人工技能﹂の研究を始める。NHKスペシャルで放送された人体のCGモデル﹁人体﹂を作品として持つ。
●1994年、世界リゾート博・関西電力パビリオン﹁リトルトッピーの冒険館﹂を総合監修。
●1996年、宝塚造形芸術大学造形学部映像造形学科教授に就任。同年、円谷プロダクションよりCG製作の依頼を受け、映像造形学科の実習授業の一環としてこれに取り組む。のち造形研究科の大学院生らを含めたメンバーからなる﹁大村皓一イメージラボ﹂を創設し﹃ウルトラマンゼアス2﹄などのCG製作を手掛けた[4]。
●人工知能制作システムソフト開発、プラウザー画面制作ソフト開発、EC(電子取引)システムの開発など、ネットワーク化の進展に伴う分野でのシステム開発・ビジネスモデル開発の指導。また、ミノルタ(株)、(株)富士通研究所、松下電工(株)の各社で顧問として技術指導に携わっている。
人物
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●日本におけるCG草創期を代表する一人である。レイトレーシング法による3次元コンピュータグラフィックスを高速に描くために、複数のCPUを並列で動作させる専用コンピュータLinksを開発した。またメタボール理論を実用化して、﹁ゴルゴ13﹂﹁人体﹂のCG映像制作に役立てた。
●アーケードゲームの元祖ともいえるインベーダーゲームの製作に携わっていたこともある。
●﹁人工技能﹂の研究では異分野のエキスパート達︵数学者、医者、天文学者、数値流体力学者etc・・・︶らが集い、その研究の中で結果を出すため、自らが研究グループの長を務める。スポーツトレーナー、手塚一志をして﹁天才﹂と言わしめる。︵その専門性の壁に縛られることなく、柔軟な発想と的確にリーダーシップを発揮し、集団をまとめていた。︶その結果はNMP(New Motion Principle)=新運動原理として、手塚一志の指摘したジャイロボールの存在と共に後世の注目を浴びる。
著書
編集- ハロー!Links―コンピュータ・グラフィックスまるかじり ISBN 978-4754890049
- 映像ワンダーランドへようこそ―コンピュータグラフィックスのすべて ISBN 978-4893520418
- メジャーリーグVS日本野球 スウィング理論の冒険 ISBN 978-4061495555
脚注
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(一)^ “News Letter vol.1 - 宝塚大学” (pdf). 宝塚大学 (2010年9月). 2023年2月2日閲覧。
(二)^ “コンピュータグラフィックスシステムLINKS-1-コンピュータ博物館”. コンピュータ博物館. 情報処理学会. 2023年2月2日閲覧。
(三)^ “関西Made 大村皓一・元宝塚大副学長﹁CGアニメ、世界初の座逃した﹂: 日本経済新聞”. 日本経済新聞︵有料会員限定︶. 日本経済新聞社 (2013年9月5日). 2023年2月2日閲覧。
(四)^ CGスーパーバイザー‥大村皓一、CGテクニカルサポート‥横山太一、宝塚造形芸術大学CGアシスタント‥大西政英、木村智博、渡邉哲意、三島良介、溝渕理香、髙岡功太郎、佐々木智章、水野佐衣子、田中一、伊藤美輝、沼田浩一、木本青子、中村直樹、榊原洋介、船渡弘、小森加代子、黒石千佳、坂口智行、小坂興史、大竹宏、小林泰輔、島岡農、石津佑亮、辰己欣明、野口健司、CGアシスタントサポート‥萩田達也︵﹃ウルトラマンゼアス2﹄字幕より︶