10125︿1827220[1] - 34︿1901417


略歴

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51858218612631863稿15[5]

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1018777殿1418816151882119[1]101877[8][9]221889

1918862殿227殿殿[1]2818957退482[1]281895[10]

161883241891[1]3419013[1]417歿75

逸話

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漢詩を棄て和歌に転向した理由については後年、「本邦自づから和歌の在るあり、強いて外国の詩形を仮て以て胸臆を慮るに及ばす」と述懐している[11]

和歌に転じてからも、明治15年(1882年)には乙訓地方の詩人たちが刊行した『西岡風雅』(せいこうふうが)に題辞を寄せたり、明治18年(1885年)創刊の漢詩投稿雑誌『熙朝風雅』(きちょうふうが)の評点者を務めた。

著作

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  • 『文久二十六家絶句』文久2年(1861年)刊(うち26首が栗園作)。
  • 『栗廼花』宇田豊四郎刊、1904年。
  • 『静観亭遺稿』中野太郎刊、1911年。

家族

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三輪田眞佐子を娘とするものがあるが、誤りである。三輪田眞佐子の兄である三輪田米山の『米山日記』(写本)明治2年4月9日には、綱一郎と梅野(眞佐子の幼名)の婚姻の事情が記されているが、媒酌人だった栗園を父親だと誤ったと考えられる。

出典

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(一)^ abcdefghijk

(二)^ 2016p.99

(三)^ 1901p.22

(四)^ 稿

(五)^ 2016p.105

(六)^ 1998p.73

(七)^ 1979p.145

(八)^ 1901pp.2-3

(九)^ 

(十)^ 1915p.341

(11)^ 1901p.31

参考文献

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  • 国立公文書館所蔵「従三位勲四等宇田淵勲位進級ノ件」明治34年3月25日(叙勲裁可書添付履歴書)。
  • 黒田譲「宇田栗園翁」『名家歴訪録』中巻、黒田譲刊、1901年。
  • 高崎正風『高崎正風演説筆記』三上庄次郎刊、1901年。
  • 日本弘道会編刊『日本弘道会四十年志』1915年。
  • 千田稔『維新政権の秩禄処分 天皇制と廃藩置県』開明書院、1979年。
  • 小林丈弘『明治維新と京都 公家社会の解体』臨川選書14、臨川書店、1998年。
  • 新稲法子「宇田栗園と漢詩」『和漢比較文学』57号、99-116頁、2016年。
  • 日浅忠行「実相院門跡坊官宇田家とその一族」『乙訓文化遺産』21号、48-51頁、2016年。