宮井陸郎
日本の映像作家、アーティスト
経歴・人物
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1960年代に﹁映像芸術の会﹂[4]に参加するとともに﹁現象野郎﹂[5]を名乗り﹁ユニットプロ﹂を主宰。フーテン[6][7]を集めてアングラ・サイケデリックショー等を催した。拡張映画、環境映画としての映像作品を発表、アンダーグラウンドシーンを牽引する。
自身の関心から当時ヌーヴェルヴァーグへ影響を与えていた﹁シネマ・ヴェリテ﹂の手法にならい、2台のプロジェクターを使用する代表作﹁時代精神の現象学﹂︵1967年︶などを製作する。
大丸ミュージアム︵東京、神戸︶での﹁アンディ・ウォホール展﹂(1974年)[8]の企画などプロデューサーとしても活動した。
1976年インドへ渡り瞑想やヨガを学び、Oshoの弟子スワミ・アナンド・シャンタンとなり、帰国後の1979年に東京都西荻窪のOshoアナンドニケタン瞑想センターを設立した。また、Oshoの絵画を日本でシルクスクリーン版画にする﹁第1集シグニチャーシリーズ﹂︵全21作品︶のプロデュース[9]を牽引。1991年以降、再びインド、ネパール、タイなどに滞在。2008年に帰国。
著書・作品
編集- 『映像と音でバックするキネディックなエレクトロニクス・エンヴァイラメント』1967年
- 『横尾ちゃん、だーいすき』1969年
- (中西研二との共著)『なんにも、ない。』ヒカルランド、2019年12月
脚注
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(一)^ “昨日はたくさんの皆さんからの誕生日のお祝いと 祈りのエネルギーありがとうございました。”. 2022年3月22日閲覧。
(二)^ “3月17日早朝にシャンタンは肉体を脱ぎ捨て、光へと還られました。”. 2022年3月22日閲覧。
(三)^ 宮井一郎、1967年、[要ページ番号]
(四)^ 東京都写真美術館、2012年、︵﹁参加作家プロフィール﹂︶
(五)^ 深作光貞、1968年、 p.130
(六)^ 宮井陸郎、1970年2月、pp.24 - 25
(七)^ *本間健彦、2013年、p.178
(八)^ 宮井陸郎他、2009年、p.397︵執筆者略歴︶
(九)^ 阿部敏郎、2010年、[要ページ番号]
参考文献
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●宮井一郎﹃漱石の世界﹄講談社、1967年10月
●宮井陸郎﹁新宿・しんじく・シンジク﹂﹃新宿プレイマップ﹄第8号、1970年2月、pp.24 - 25
●深作光貞﹃新宿考現学﹄角川書店、1968年9月
●宮井陸郎他﹁﹃芸術﹄﹂の予言!! 60年代ラディカル・カルチュアの軌跡﹂﹃﹁季刊フィルム﹂コレクション﹄フィルムアート社、2009年5月
●阿部敏郎﹃随(かんながら) 神―意識の扉を開く鍵―﹄ナチュラルスピリット、2010年5月
●﹃映像をめぐる冒険vol.5 記録は可能か。﹄東京都写真美術館、2012年12月
●本間健彦﹃60年代新宿アナザー・ストーリー タウン誌﹁新宿プレイマップ﹂極私的フィールド・ノート]﹄社会評論社、2013年6月