島津久保
島津 久保(しまづ ひさやす)は、安土桃山時代の武将。島津義弘の次男。
島津 久保 | |
---|---|
時代 | 安土桃山時代 |
生誕 | 天正元年(1573年) |
死没 | 文禄2年9月8日(1593年10月2日) |
改名 | 万寿丸[1]、久保 |
別名 | 又一郎[2] |
神号 | 神楯厳武雄命 |
戒名 | 一唯恕参大禅定門、皇徳寺殿 |
墓所 | 福昌寺 |
氏族 | 島津氏 |
父母 |
父:島津義弘 母:園田実明の娘・実窓夫人(広瀬夫人) |
兄弟 | 鶴寿丸、久保、忠恒、万千代丸、忠清、女:お屋地、女:お下(伊集院忠真室) |
妻 | 亀寿(島津義久三女) |
略歴
編集愛猫
編集島津義久の弔いの和歌
編集- 「南」 なく蟲の 聲は霜をも 待やらて あやなく枯るる 草の原かな
- 「無」 紫の 雲にかくれし 月影は 西にや晴るる 行衛なるらん
- 「阿」 雨はただ 空にしられぬ 習なれや 憂き折々の 袖にかかりて
- 「弥」 みし夢の 名残はかなき ね覚かな 枕にかねの 聲ばかりして
- 「陀」 尋ねても 入らまし物を 山寺の ときおく法の 深きこころを
- 「佛」 筆をみぎに 弓を左に もてあそぶ 人のこころや 名に残らまし