市川團十郎 (5代目)

歌舞伎役者

   ︿1741 - 31030︿1806129
五代目 市川(いちかわ) 團十郎(だんじゅうろう)

『恋女房染分手綱』の竹村定之進
屋号 成田屋
定紋 三升 
生年月日 1741年
没年月日 1806年12月9日
本名 梅丸(幼名)
襲名歴 1. 市川幸蔵
2. 三代目松本幸四郎
3. 五代目市川團十郎
4. 市川蝦蔵
5. 成田屋七左衛門
6. 初代市川白猿
俳名 梅童・男女川・三升・白猿・
反古庵
花道のつらね(狂歌)
別名 成田屋七左衛門(隠居)
出身地 江戸
四代目市川團十郎
二女 すみ(姉)
六代目市川團十郎(養子、実は自身の庶子)
桃太郎
歌川国政作の1796年公演の『暫』を描いた浮世絵

来歴

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人物・芸風

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西18

逸話

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寛政8年に引退する際に出された絵。「一世一代口上」と題して、「当顔見世かぎり隠居仕り候に付き、御贔屓様方へおいとまごいの為口上を以て申上げ奉り候…」と役者を引退すること、さらに孫の市川新之助(七代目團十郎)をのちのちまで贔屓にしてくれるようにと頼んでいる。歌川豊国画。

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親交

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團十郎と親交を結んだひとりに、落とし噺の会を主催した職人出身の江戸噺家烏亭焉馬がいる。焉馬は團十郎のファンであり、またの名を「立川談洲楼(たてかわ だんしゅうろう)」と称した[2]。焉馬もまた狂歌師でもあった[2]

脚注

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参考文献

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  • 俳優堂夢遊 『俳優世々の接木』〈『演劇文庫』第1編〉 演芸珍書刊行会、1914年 第一冊10頁以降 ※近代デジタルライブラリーに本文あり。
  • 山東京山 『蜘蛛の糸巻』〈『日本随筆大成』第二期巻四〉 日本随筆大成刊行会、1928年
  • 野島寿三郎編 『歌舞伎人名事典』(新訂増補) 日外アソシエーツ、2002年

関連項目

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