康円
1207-, 鎌倉時代の慶派仏師
概要
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鎌倉時代を代表する仏師・運慶の孫の世代に当たる仏師。﹃墨水遺稿﹄の系図に運慶の次男・康運の子とあるが、﹃阿刀文書﹄収録の﹁奈良方系図﹂では康證︵康勝︶の後に置かれている。建長3年から6年︵1251 - 1254年︶、蓮華王院︵三十三間堂︶の復興造仏に際し、伯父に当たる湛慶︵運慶の長男︶の補佐している。その後、湛慶の下で東大寺講堂の千手観音像︵現存せず︶造立に携わり、建長8年︵1256年︶の湛慶没後はその仕事を引き継いで完成させた。文永12年︵1275年︶神護寺愛染明王像を制作後まもなく亡くなったとみられる。
康円が活動した時代は、東大寺、興福寺などの復興造仏事業が一段落し、朝廷や摂関家の勢力が低下しつつある時期であった。そうした時代背景もあって康円の現存作品には小品が多く、工芸品的な作品の多いことが指摘されている。内山永久寺旧蔵の不動明王八大童子像、同寺旧蔵の四天王眷属像などはいずれも小品ながら、各像の個性を巧みに彫り分けており、群像表現に優れ、忿怒像を得意とした作家であったと思われる。
作品
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地蔵菩薩像以外は重要文化財。
●地蔵菩薩像︵ケルン市東洋美術館︶ 建長元年︵1249年︶
●千手観音立像 ︵三十三間堂︵妙法院蓮華王院︶︶ 建長3年 - 6年︵1251 - 1254年︶ - 1,001体千手観音像のうち6体に康円銘がある
●太山王坐像・司命半跏像・司録半跏像 ︵白毫寺︶ 正元元年︵1259年︶
●四天王眷属立像 文永4年︵1267年︶ - 内山永久寺旧蔵、現在は東京国立博物館︵持国天・増長天眷属︶、静嘉堂文庫美術館︵広目天眷属︶、MOA美術館︵多聞天眷属︶に分蔵される
●不動明王八大童子像 ︵世田谷山観音寺︶ 文永9年︵1272年︶- 内山永久寺旧蔵
●文殊菩薩騎獅像及び侍者像︵文殊五尊像︶︵東京国立博物館︶ 文永10年︵1273年︶ - 興福寺勧学院旧蔵
●愛染明王坐像 ︵神護寺、東京国立博物館寄託︶ 文永12年︵1275年︶
参考資料
編集- 伊藤史朗 『京都の鎌倉時代彫刻』 ぎょうせい、2010年 ISBN 978-4-324-08744-2